2019年6月16日日曜日

(481) 父の日

今日は父の日。

どん底気分全開の文章となりますが、
読んで下さる方、ご容赦のほど。

ずっと体調が良くなく、気持ちが沈んだままの状況が続いている。

再就職してもうすぐ1年半、なんとか仕事は続けているが、
この状況をずっと続けるのはかなりキツイ。
自分から辞めると言い出せず、
もろもろ限界だと相談して、焦ることはないと止めてもらったりしつつ、
というグズグズの状態が続いている。

医師からは「適応障害」と言われているが、診断書を提出して休む事も難しい。
というか、「うつ状態、加療必要」という診断書を書いてもらったんだが、
面談でどうしてもそれを渡せなかった。

辞表を提出する事はどうしてもできず、休職してそのまま退職となる道も選べず、
ただ真面目に仕事したい、頑張りたいという気持ちばかりがいつも空回り。
「気負いすぎ」「焦る必要はない」とアドバイスを受けても、
どうしても変われない自分。

遅かれ早かれ、決めなければならない時は来る。
でも、辞めてしまったら次のあてもないし、
坂道をとことん転がり落ちるという恐怖も強い。

仕事関係なく、まずは元気を取り戻し、気力体力を回復させないといけなんいだが、
心から楽しめるものがないという状態が、かれこれ1年以上続いている。

そんな中でも、妻と息子達から「働いてくれていつもありがとう」
という言葉をもらえた。
家族には、感謝しかない。

田舎で一人暮らししている母親とも、
毎週電話で、互いに何とかやっている事を確認しあっている。
おふくろにも、感謝しかない。

自分が変わらなければならないと思いつつ、
周囲からの視線を気にしすぎ続けて、
自分自身が本当にどう生きたいのかを十分に考えずに
いろいろな課題を先延ばしし続けた結果招いた今の自分の状況。

生きることって、大変だ。
自分でわざわざ大変にしてしまっている面もあるんだろうが、
自分ではどうする事もできないまま、現在に至る。

とりあえず、明日も会社に行く。

ゲーム依存、株式掲示板依存、スマホ依存。寝逃げ。
底を這っている状況の時は、その場限りの依存に逃げてしまう。
それ以外の自分がやりたい事を見つけなければと思いつつ、
一歩がどうしても踏み出せない。

心理的には完全な社会的引きこもり。

カッコつけず、仮面をつけず、ダメダメな自分を外に出す。
そういう自分である事をさらけ出して、堂々と生きる。

もっと若い時にそれができるようになっておけば良かったんだろうが、
どうしてもそれができなかった。

この自分の経験を、
いつか誰か他の人のために生かせる日が来ることを願いつつ、
久しぶりのブログ記事作成。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

1974年生まれの俺。気持ちは痛い程わかる。精神科にも通院してるし。現実から逃げたいけど、いろんなしがらみがあり身動きが取れない。俺が今逃げたら、家族はどうなる?踏み留まれてるのはその一点だけかも知れないな。

世間研究家 さんのコメント...

1か月ぶりにブログを見て、コメントいただいていた事に今気付きました。読んでいただいたにもかかわらず、書きっぱなしで申し訳ありません。

まさに「今逃げたら家族はどうなる?」というので踏み留まっているのかもしれませんが、踏み留まった先に希望があるのか、解らない状態です。

世間は吉本興業の報道でもちきりですが、報道され、注目されるのは影響力のある人であり、報道すらされず、目に留まらない人がいます。松本さんや東野さんは、その事も解っており、2700やくまだまさしさん等、謝罪すらできず、仕事がない状態で謹慎している人がいます。

家族がいるのに、社会に貢献できるような仕事ができていない、社会に居場所がない、職場に居場所がない、その辛さを、痛いほど感じる日々です。

最近、「世間」という言葉が以前にも増して皆が使っているように思います。

私は今は飯を食うためにサラリーマンを続けていますが、「世間研究」で少しでも世の中に貢献できないか、考えてみようと思います。