2016年12月1日木曜日

(417) 「世間ずれ」と「世間知らず」

世間ずれの反対語は世間知らず
(コトバノ)より

(410) 世間文化
ここのコメント欄で、世間ずれについていつか記事を書こう、と覚書があったので、これまでの記事をまとめる形で書いてみる。

(237) 世間の補完語は家族
家族があるから世間があり、世間があるから家族がある。お互いは補われており、どちらか一方だけでは成り立たない。世間を否定するなら、家族も否定する事になるし、家族を否定して個人主義になれば、アメリカやイギリスのように、世間という概念も消滅する。そうなれば、「空気が読めない」という言葉も死語になるだろう。

(345) 世間知らず = 家族知らず

一番最初にコトバノさんから引用させてもらった、「世間ずれの反対語は世間知らず」だが、
「世間ずれ」と「世間知らず」は反対語というよりも補完語と考えたほうが腹に落ちる。

世間ずれし過ぎている人は、正直さがない、純粋さがない、という意味で否定的に捉えられる。
世間知らずな人は、世の中の事を知らなさすぎる、という意味で、これも否定的な意味。

どちらか極端になってはいけない。世間ずれし過ぎてはいけないが、かといって世間知らずなのも良くない、というのが先人のアドバイスだと捉えるのが一番妥当だと思う。

世間を研究する人が今後もし、私以外に大勢現れる時が来たら、是非この言葉を肝に銘じてほしい。

初代『世間研究家』として私は、このポリシーを心に誓おうと考えている。

 

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