2016年11月18日金曜日

(98) がんばっぺや

 
「がんばっぺや」、この言葉、東北の人達の魂に響く言葉なんだろうと思う。
弊ブログ記事の、【(28)「頑張れ」は禁句か?】もご参照いただければ幸いです。
 
遺憾ながら、私自身は、東北には縁がない。
親戚もいないし、友達が少ないので、東北に縁がある人が、周囲にいない。
なので、これも大変申し訳ないのだが、
「がんばっぺや」という言葉は、
残念ながら私の魂には響かない。
 
しかし、気持ちは、「一緒に頑張って行きましょう。日本を復興させましょう。」である。
これは天に誓って、俺の本心であると、断言させてもらう。
 
同時に、「東北の方々、頑張ってください。応援しています。」とは絶対に言いたくない。
この言葉は冷たい。
東北も福島も日本だ。特に、原発のある福島に住んでいる方々、
特に、小さいお子さんがいらっしゃるご家庭の筆舌に尽くしがたい労苦は、
東京電力管轄の地域に住むものとして、言葉にできないくらい、
誰か(国 or 東電?)何とかして欲しい、何とかしなきゃいけない、と思っている。
 
しかし・・・
俺は、「がんばっぺや」という東北方言を喋らない地域の人間だ。
その俺が、「がんばっぺや」というエセ方言を使えば、東北の人に対して多分失礼だ。
 
じゃ、俺に何ができるのか?
日本のために何ができるのか?
 
今日の時点で、俺が考えている事は、
俺が毎日、本来やるべき事を、きちんと、全力を尽くしてやる事。
それに尽きると思う。
 
俺はサラリーマンであり、勤務している零細外資系企業から給料をもらっている。
その給料分働く。
同時に、俺は家に帰れば夫であり、6歳と4歳の息子たちの父親だ。
父親として責任ある行動を取る。時に家族サービスもし、給与を稼ぐ。
 
東北を始め、茨城県や千葉県の被災者の事も忘れない。
でも、俺が俺にできる精一杯をやる事しか、俺にこの国のためにできる事はない。
 
弊ブログ記事【(42)光市母子殺害事件最高裁の死刑判決】もご参照いただければ幸いです。
そこで、奥さんと子供を殺された、本村さんの当時の新日鐵の上司の方が本村さんに対して
述べられた言葉が、社会人として責任を持つ「父親」として、語るべき言葉だと思う。
 
以下、その言葉。
 
『君はこの職場にいる限り私の部下だ。そのあいだ、私は君を守ることができる。裁判はいつかは終わる。一生かかるわけじゃない。その先をどうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる。新日鐵という会社には君を置いておくだけのキャパシティはある。勤務地も色々ある。亡くなった奥さんも、ご両親も、君が仕事を続けながら裁判を見守ってゆくことを望んでおられるじゃないのか』
また、次のようにも述べた。
『この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい』
 
残酷なようだが、
「労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。
君は社会人になりなさい。」
この言葉は、「父親として」厳しく語らねばならない、重い言葉だと思う。
この言葉は、「母親」には絶対に言えない言葉だと思う。(女性の方、気を悪くされたら、ごめんなさい。)
でも俺は男であり、「父親」だ。
俺は心を鬼にして、この言葉が言える男にならねばならない。

0 件のコメント: