2012/12/10加筆
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逐次通訳の仕事をやっていると日本語と英語の単語を比較した時、完全には1対1で対応していない単語を見つける事が頻繁にある。
その違いについて調べると、文化の違い、日本語脳と英語脳の違いに関しての、ヒントが得られる事があって、結構面白い。
今回は、addictと依存
addict
-n.
1. (麻薬などの)常用者、中毒者
2. (スポーツなどの)愛好家、熱中者、凝り屋、大のファン
-vt.
1 [通例受身または~oneselfで]
...に(麻薬などを)常用させる、(...に)中毒させる、(酒色などに)溺れさせる、
耽溺させる; (スポーツ・趣味などに)ふけらせる、熱中させる(to)
2. (人を)麻薬中毒(常用者)にする。
addiction
-n. (麻薬などの)常習、中毒、(酒色などへの)耽溺; 熱中、没頭
生きていれば、多かれ少なかれ、人は何かに「addict」していると思う。
私の小学生の息子だって、おもちゃにaddictし、飽きたら違うおもちゃにaddictしている。
父親としては、あまりaddictし過ぎてしまうと、問題がありそうな気がするので、今のところ、任天堂3DSは息子には買い与えていない。
大人だって多分そうだ。
携帯電話、スマホ、Blackberry、Facebook、ソーシャルゲーム(GREEやモバゲー)、
mixi、恋愛、2ちゃんねる、パチンコ、パチスロ・・・
現代人は、addictしてしまう誘惑に日々さらされながら生きていると言っても過言ではないと思う。
極論すると、家族にaddictしている人が、「マイホームパパ」「イクメン」
と呼ばれているとも言えるかもしれない。もちろん、他の依存症と違い、これは全く問題がないんだが。
程度の差こそあれ、自分が幸せであるためには、何かにaddictしたい。
でも、どんなものであっても、何かにaddictすれば、他の人、周りに迷惑を掛けたり、
自分にそんなつもりはなくても、嫉妬されたりする事もあるかもしれない。
ギャンブル依存症などの事を「依存症」と定義するのは、実は結構難しいと思う。
当人にとっては「趣味」「楽しみの範囲内でやっている」であり、実際に本当にそう思っていても、
家族や、子供たちから見れば、「病的依存」であるようなケース、山ほどあるような気がする。
その状態と、「洗脳状態」とのイメージが、どうも被る。
当人にとっての幸せと周囲の人(妻、子供、両親、友人)にとっての幸せとが対立してしまうケースとも言える。
仮に周囲に「洗脳されている」と言われても、当人にとって幸せなら、それは本人にとって「洗脳が解ける」事は幸せなのかどうか。もしそれが「洗脳」であっても、そのままの状態で死を迎えるなら、それは当人にとって、案外幸せな事なんじゃないだろうか?
・・・という気がしないでもない。
しかし、やはり周りを不幸にして、当人だけが幸せな状態というのは、持続不可能なような気がする。
ここで大切なのは、やはり、「慈悲の瞑想」だと思う。
①私が幸せでありますように。
②私の親しい人が幸せでありますように。
③生きとし生けるものが幸せでありますように。
この基準に照らし合わせて、
「依存」「洗脳」なのか、
「はまる」「熱中」なのか、
本人や周囲の人がお互いの幸せを願いながら、常に考えて行った方が、人生幸せに生きられるんじゃないだろうか、とか思う。
私自身は、面倒になって、つい忘れてしまう日もあるが、自分なりに解釈した、ブッダの教えを実行に移し、
今でも、毎日、可能な限り「慈悲の瞑想」を寝る前に実行して(心から強く念じて)、眠りにつくようにしている。
実際、自分自身の幸せ度が上昇し、人間関係も慈悲の瞑想を実行する前に比べて楽になり、かつ、仕事や勉強もはかどるようになった気がする。
・・・たまたまかもしれないが。
是非、一度だまされたと思って、「慈悲の瞑想」やってみられる事をお勧めします。
詳しくは、日本テーラワーダ仏教協会さんのホームページをご確認ください。
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