これも以前から疑問だったんだが、日本でのお葬式の目的って何なんだろう?
以下、個人的な考え。
もし、自分がいつか死んじゃったらその後、どうなるか解らない。
天国があるのかもしれないし、次は何か違う動物に生まれ変わるのかもしれない。
でも、多分、世界中の人間、生きている人間は、誰も解らないはず。
だって死んだ事ないはずだから。
(俺は一度死んで、生まれ変わった!とか、臨死体験をした!
とかい言う人の言う事は、申し訳ないが、信じない)
もし、自分が自分の息子達(6歳 & 4歳)に、将来葬式を上げてもらう時の事を想像すると、
俺は、俺の葬式は、そこから先も生きて行く、息子達が一旦悲しみ、
そして前を向いて生きて行くための、区切りとなる葬式であって欲しいと思う。
つまり、葬式は死んじゃった俺のためのものではなく、
そっから先、生きて行く、「生きている人」のためのものであって欲しい。
だとすると、俺の葬式に金をかけるのはもったいない。
家族葬で十分だと思う。
その頃、金は、俺の孫の教育のためにきっと沢山必要だろうから、
間違っても、高い棺桶にしたり(どうせ燃やしちゃうんだから)、
高い花を入れたりしないでほしい。
趣味のパチンコとスロットをあの世に行ってもやりたいから、パチンコ玉10個ぐらいと、
スロットのコインを5枚くらい入れておいてもらえばいい。
でも、家族葬の時には、親戚(例えば息子たちの従兄、甥、姪など)の皆と仲良く、
「献杯」して酒でも飲みながら、
「これからも生きて行く」お互いの現状を話したりしながら、
親戚付き合いの大切さを思い出せるような、そんな場であって欲しいと思う。
だが、(日本の場合)墓は結構重要だ。
正月やお盆には、お墓参りする、その習慣は続けた方がいい。
俺自身、死んじゃった俺のじいちゃんには大恩があり、
田舎にじいちゃんの墓参りに行くと、「これからも頑張らなきゃ」という気になる。
「先祖累代の墓」でも、「~家先祖代々の墓」でもどっちでもいいが、
お墓参りは、日本人の「家」意識と切っても切れない関係にある。
墓石はあんまり安いと、多分将来困るだろうから、それなりのものにした方がいいかもしれない。
アメリカでは、墓石は、基本的に「一人一個」だ。
夫婦は、墓地の隣同士に墓石が建てられるようだが、
基本的に「一つの墓」に夫婦が一緒に入る訳ではないらしい。
つまり、「生まれた時も一人、死んでも一人。でも、神の下に召される」という考えなんだろうと思う。
と言う事は、おそらく、代が2代くらい変わったところで、
覚えている人がいなくなり、墓石は全く新しいものに変わるんじゃないだろうか。
・・・私もアメリカ人じゃないので、そこまでは詳しくはないが。
ところが、日本は違う。
死んだら、戒名が与えられるが、そこでは名字が消える。
多分、一人っ子が続いてしまい、どうしても絶家になってしまうような時、
名字が違う家の墓にも引っ越しできるよう、戒名をFirst Nameだけにしているんだろう。
よくできたシステムだ。
長い戒名は金もかかるし、覚えにくいので、俺の戒名は短い方がいい。
お墓参りの習慣を忘れる時、それは「家」の意識が消える時だ。
日本人の宗教心の重要な部分は、「儒教」或いは、「”家”教」と呼んでいいような所から来ている
気がする。
他に頼るものがあればいいが、多分、それだと死の恐怖に打ち勝つのは極めて難しいと思う。
どっかでパニクるか、何らかの宗教に頼らざるを得なくなると思う。
なお、俺はまだ40歳前であり、あと最低40年は死なないつもりだが。
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