今日、3/8付けの日経にて、東京大学教授 伊藤元重さんによる記事。
考えさせられた。
レイバー、ワーク、プレイの3つのキーワード。
labor : (肉体的・精神的な)労力、骨折り、労働
(労働力を提供してその対価として賃金を得る)労働、勤労
work : 仕事、働き、仕事の口、職業、商売、専門、勤め先、職場、会社、一日の仕事(の量)
play : 遊ぶ、(仕事しないで)遊ぶ、競技する、勝負事をする、賭博をする、
演奏する、(劇を)上演する
「和訳が難しい」パターンだな。これ。
言語の英語の意味を英語脳になって理解しようとしないと、本当の意味で理解できない。多分。
俺自身が過去にやった仕事(=金銭の出入りを伴う活動)を当てはめると、
labor : (大学生時代の)引っ越しのバイト、交通誘導&警備員のバイト
work : (大学生時代の)家庭教師のバイト、
3年半働いた典型的な日本企業での「サラリーマン」としての仕事
今の、零細外資系企業でのサラリーマンとしての仕事
play : (大学生時代の)パチスロ、(たしなむ程度にやっている)株式投資
伊藤教授の指摘ポイントを俺なりに解釈すると、
①かつての産業革命時、機械化に反対して、laborを行っていた層が機械を壊す活動を行った。
②現在、グローバル化の進展により、workのデフレ化が進んでいる。
③産業革命時にlaborからworkへの変化があったように、
現代では、workからplayへ変わる事を考えて行く必要がある。
うーん、考えさせられる。
"play"で金を稼げたら、人生最高に楽しいだろうな。
今のところ、「たしなむ」程度にやっているだけだが、
株式投資(日本株の個別銘柄投資)、もっと勉強して、
もう少し利回りが上げられるよう、腕を磨きたいと思っている。
とは言え、本業のサラリーマンの"work"によって家族を養っているので、
そっちがおろそかになるようでは、本末転倒だが。
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同じ仕事が、人間の脳の状態が変化する事によって、
play ⇒ work ⇒ laborに変わる気がする。
例えば、大学時代にやった交通誘導(警備員)のバイト、
最初は、いろいろ勉強になったし、楽しかったので、"play"に近かった。
ところが、だんだん慣れて来ると、"work"になってきて、
最終的に"labor"だと感じそうになった時、バイトを辞めた。
よくありがちな話で、最初は楽しくて、「好きな事を仕事にする」(play)で始めた事でも、
お客さんが決まってきて、締め切りが出てきて、忙しくなると、"work"になり、
その時には、好きな事はもう純粋な意味での「好きな事」ではなくなっている。
そして、"labor"と感じてしまえば、もう、それは仕事を辞めるか、思い切って
長期休暇を取るかしないといけないだろう。
つまり、labor, work, playは、「仕事の内容」だけではなく、
「仕事をする人間側」の慣れ、飽き、忙しさの状態によって、変わる可能性があると思う。
一生、「play」で生きられれば最高だが、
多分、大多数の人は、「work」と「labor」の狭間で揺れ動きながら、
「飯を食わなければいけないから」「家族を養わねばならないから」と思い、
歯を食いしばって、生きているんじゃないかと思う。
少なくとも、俺の場合は、多分、定年までそうだろうと思う。
・・・庶民はそれで幸せなのさ(負け惜しみ?)
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