最近のニュース、ネット報道、雑誌、テレビ等が「やかましい」「大きなお世話」みたいに感じる事に関しての続き。
ふと、「野暮」(やぼ)という言葉が思い浮かんだ。
野暮
(Goo辞書)
より転記。
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やぼ【野暮】
[名・形動]《語源未詳。「野暮」は当て字》
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粋(いき)の反対語と言われて、あ、確かにな、と思った。
30歳くらいの一般人の女性をリケジョとか持ち上げて、大騒ぎして、その後寄ってたかって袋叩き。
週刊新潮とか、文春、現代とか、週刊ポストの記事とか、最近は嫌悪感しか感じない。女性誌もそうだし、一般紙すらそんな事書いて、記事を消してお詫びしたみたいだけど。正直、世の中のこと考えたら、こういう雑誌は売れなくなって、大多数は廃刊になった方がいいんでは?そんな印象すら持ってしまう。
25年くらい前、私がまだ中学生とか高校生だった頃、まだネットがなかった時代は、
こういう雑誌にも社会的な価値があったのかもしれない。
オヤジがたまに買ってきてて、思春期の俺、こっそり読んだりして、ちょっとだけ大人の世界を覗き見したような気がした記憶がある。しかし今は、小学生だって、パソコンで検索すればドロドロの世界が簡単に見れてしまう。
今でも、週刊新潮とか文春は、表紙だけは和風の絵だと思うが、それは、一応表向きは、カッコつける、そういう意味があったんだと思う。中身が野暮なのは昔も今も変わらないんだろうが、今は、雑誌が発売になる時か、下手すればその前に、野暮な内容がネットに出てしまうから、下世話な話をリードするばっかり。もう見たくない。地下鉄の中刷りとか、日経新聞にデカデカと、人を悪く言うような言葉ばっかり乗せる広告とか見ると、地下鉄とか、日経新聞に「そんな広告収入で金稼ぐなよ!!」と抗議したくなる。
昔は芸能人は特殊な人達で、もらえる金も多く、一般人との境目がはっきりしていたんだろうから、多少なりとも芸能人のスキャンダルを暴く事に、一般人からの理解があったかもしれないが、STAP細胞の件は、いくらなんでも日本人の品性を嘆きたくなるほど、目も覆わんばかり。
基本的に粋(いき)に生きる人たちが多ければ、たまに野暮になる事に価値があったのかもしれないが、今は粋も野暮もごちゃまぜ、何でもかんでもネットで晒される時代。
多分、こういうのってネットの功罪なんだろうが、罪の方が多い感じもする。
やれやれだが。
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