最近、ブログに記事を書くネタが思いつかなかった。
外部環境(仕事の忙しさ、新しい会社パソコンのセキュリティ強化でブログ発信も、Facebook、Twitterを見ることもできなくなったこと)などの影響もあるだろうが、自分がこれまで約3年間で370件を超える記事を書いている事から考えると、おそらく自分自身の脳の成長の仕方、心地よい/効率的な自分の脳からのアウトプットや脳へのインプットの量・時期は一定のスピードで進まないんだろうな、と思う。
ここ1年くらい、あんまり本を読む気がしない。その前は、東野圭吾さんや浅田次郎さんの小説、北野たけしさん関連の本などを読み漁っていたのだが、ある時から、脳がインプットを気持ちよく受け付けてくれなくなった。新聞とか雑誌は多少は読んでいるが、『縦書き、横書きで、脳へのインプットのスピードが違う!!』とか、濃すぎて誰もついて来れないような考察を書いていた約2年前に比べて、私の脳が情報を処理する気がしなくなったんだと思う。全く、我が脳ながら、勝手な奴だ。
2年前のブログ発信絶好調の期間や、去年の無職ぷーたろーで内心焦りまくっていた時期、脳はいろいろ考えたがって、夜寝て起きたらひらめいた気になる事が多発、アウトプットをブログに書きためていた。それが370件をかなりの高頻度で書いていた時の状態。
今は、小康状態。
最近は、ネットも雑誌もテレビも、「やかましいな」という印象を強く持つ。論文がコピーだったとか、耳が聞こえているとかいないとか、正直、どーでもいい。そんな情報に金払う気がしないので、パソコンやスマホでゲームやって時間つぶししてばかり。ゲームも、昔と違って「はまる」ゲームとはほとんど出会えず、課金して遊びたくなり、ちょっとだけ(1000円くらい)金出した頃、また別のゲームで遊ぶ、課金回避のため、3つぐらいのゲームをローテーションで遊ぶ、そんな怠惰な日々を送っている。
多分だが、私も含む危機感駆動型の日本人、目の前に明らかに危機とわかる問題が起こっていないと、脳が真剣に活動してくれないんじゃないかと思う。3年前の震災の時は、新聞やネットを探すと、真剣にいろいろ考える記事が見つかったが、最近は芸能ネタに限りなく近い、揚げ足取り、感情扇動型のものばかりが目につく。議論も、議論で飯を食っている人達・それが趣味の人達が、(彼らも生活があるので?)あえて話を大きくしているような感じがする。冒頭に書いた通り、人が求めるアウトプット・インプットは一定じゃないので、雑誌とかも、週刊や月刊という決め事を作らず、重要な出来事がある時は毎日発刊、平和なときは3カ月おき、とかにした方がいいのかも。・・・もちろん、皮肉だが。
ベビーシッターの悲惨な事件があったが、この件で真剣に、正しく危機を感じるなら、家族間格差が拡がり、経済的に困窮している家族(もちろんシングルマザー家庭含む)が発生し続けている状況下、その人達をどうやって救うシステムを作るか、だと思う。
家族の事にはお互い立ち入らないという原則を確保しつつ、資本主義に基づく、家族同士の自由競争を維持していることによる、制度疲労があちこちで出てきているが、これは緩慢な問題なので、危機感を感じにくい。また、一時期騒ぎが大きくなった生活保護受給問題など、「自分は困っているんです!!」と大きな声を出せる人が受給でき、黙々と歯を食いしばって頑張る人にお金が回らないという問題が起こりやすい。また、芸人の息子がお金を稼いでいるのに、母親が行政から金をもらうなんて事があった場合、世間は尋常ならざる勢いでそれを攻撃する。
しかし、世の中そういうものなので、多分行政だけじゃどうにもならないと思う。
昔は、多分、世話好きなおじさん、おばさん、民生委員みたいな人がどこにもいて、親戚・ご近所さん同士で助け合う仕組みがあったんだろうが、もう今の日本人の大多数は、そんなムラ社会に戻るのは嫌だろう。
このままだと、状況はズルズルと悪化すると思う。そして、大勢の人が真剣に危機感を感じ、世論がそっちの方向に動く時には、事態は相当悪化している。(震災後、『絆』が流行語になった事があった気がするが、3年たって、流れはまた元に戻った感じがする)
もっとも、危機が目の前にないと力が発揮できないのが私も含めた典型的な日本人なのかもしれないが。
というか、もっと言うと、人間の脳って、元々めんどくさがりで、危機があるから自分の生命を守るため、必死に動くものなのかも。
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