ふと思い出した話。
だいぶ前に聞いた印象的な話として、カエルの旅の事が記憶に残っている。
カエルが家出して、世界中を旅する姿の連絡があって、みたいな、なんかいい話。
何だっけかな?と思ってネットで調べたら、この話だった。
(「アンビリーバボー」カエルのミステリーツアー)
・・・思わず泣いてしまった。
最後の部分、このブログからの引用。
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(引用)
後日談。
正体を明かしてから、フィルさんと夫妻は何度も食事をしたりして交流してきました。
フィルさんは『ワールドツアー’98』とカエルをプリントしたTシャツを夫妻にプレゼント。
そしてジョンさんの7回目となる命日、フィルさんは夫人と久しぶりの再会。
二人で、遺言で遺灰をまいたという海を訪れました。
そっと海に投げられた花・・。
海と旅行が大好きだったジョンさんとの思い出。
中でもあの騒動が、特に印象深いと言います。
「楽しいいたずらをしてくれたフィルに感謝しています。
夫も私も元気になったわ」
そんなガートルードさんに、「僕はジョークが好きなだけですよ」とフィルさん。
二人は楽しそうに笑いあいました。
(引用終わり)
正体を明かしてから、フィルさんと夫妻は何度も食事をしたりして交流してきました。
フィルさんは『ワールドツアー’98』とカエルをプリントしたTシャツを夫妻にプレゼント。
そしてジョンさんの7回目となる命日、フィルさんは夫人と久しぶりの再会。
二人で、遺言で遺灰をまいたという海を訪れました。
そっと海に投げられた花・・。
海と旅行が大好きだったジョンさんとの思い出。
中でもあの騒動が、特に印象深いと言います。
「楽しいいたずらをしてくれたフィルに感謝しています。
夫も私も元気になったわ」
そんなガートルードさんに、「僕はジョークが好きなだけですよ」とフィルさん。
二人は楽しそうに笑いあいました。
(引用終わり)
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こういう遊び心というか、ジョークをアートのレベルまで高め、それを周囲が盛り上げるアメリカの文化は、敬服に値する。
日本の場合は、どうしても真面目すぎて、途中の段階でつぶされてしまいがち。
このカエルの旅でも、日本の税関で
「カエルは落としたら割れてしまうので、いつも大事に手荷物で飛行機の機内に持ち込んでいたんですが、日本の税関にしつこく聞かれました。“このカエルはなんだ?何が入っているんだ?”」
という話が出ているが、こういうのを何度も乗り越えないと、日本の場合は大きなジョークが通用しにくい。
という話が出ているが、こういうのを何度も乗り越えないと、日本の場合は大きなジョークが通用しにくい。
このカエルの話も、最初、老夫婦は「盗難」と感じたらしい。真面目すぎる日本の警察やマスコミなら、その時点で老夫婦の心の傷を世間に対して拡大して伝えてしまい、『犯人逮捕』の方向に向かってしまったかもしれない。
ただ、アメリカはこういう素晴らしい遊び心を持つ人達が大勢いて、それを許容する懐の深さがある一方で、日本に比べると、社会として父性が強いので、競争の敗者に対して冷たすぎるように見える事がある。また、理念は素晴らしいし、アメリカは競争の平等性を継続確保する事への意識も強いんだけど("Unfair"という言葉が結構強烈な響きを持ってアメリカ人に対して伝わる事があるように)、本当に平等な競争って可能なのか?という気もする。先進国も新興国も、国として豊かになると、必ずと言っていいほど貧富の差に不満を持つ人が大勢出てきている気がする。
(社会全体として)父性が強いアメリカと、母性が強い日本。
子育てに母性も父性もどちらも必要なのと同じで、そのバランスや、母性・父性を発揮するべきタイミングを考えるのが、多分、大切なんだろう。
・・・話がそれてしまったが、カエルの旅の話は、本当にいい話だ。
敬意を込めて、ブログの壁紙を、ちょっとアメリカンな感じにに変えてみる事にした。
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