2016年11月29日火曜日

(301) 『社交辞令』と『愛想笑い』

日本語と英語の1対1非対応シリーズ。
両方の文化が全然違うので、一方の言語の側にはたくさん単語があったり、微妙なニュワンスが入っているのに、もう一方の側の言語では意味が軽かったり、そもそもそんな単語が存在しないと言う事が結構ある。
 
今朝、トイレで思いついたのは、『社交辞令』と『愛想笑い』
 
『社交辞令』
diplomatic language ; honeyed words ; lip service ; an empty compliment
 
『愛想笑い』
a polite smile ; an insincere smile
 
・・・相当面白い。
 
diplomatic (外交の、外交上の)
honeyed (蜜のように甘ったるい ; お世辞たらたらの)
「リップサービス」は日本語でも頻繁に使う
compliment (お世辞、愛想、挨拶)
 
polite (丁寧な、丁重な、礼儀正しい)
insincere (誠意のない、ふまじめな、偽善的な、偽りの、不実な)
 
日本人にしか理解できないかもしれないが、
『社交辞令』『愛想笑い』には、これらの英語が言うほどのマイナスイメージはない。
「相手に合わせて気配りする優しさ」、「空気を読む以上、多少は仕方ない」
という、「しがないサラリーマン」「宮仕えの切なさ」「気の弱さ」みたいなイメージが、言葉の中にニュワンスとして含まれている感じがする。
付け加えると、日本語は『社交』なのに、英語は『外交』だ。
これは、アメリカ人やイギリス人は、「自分(私)」の次の心理的な境目が、「国内か国外か」という所まで一挙に広がるのに対して、日本人は(私的空間は)「家族の内か外か」で考えるという特徴を示唆しているように思う。
つまり、日本人は、『家族』という心理的な強い境目を持っている。アメリカ人はそれが日本人に比べると弱い。
日本人は家族の外に出ると、そこを『他人』と思う文化的特徴がある。
でも、『国としての一体感』は、多分、日本は強い。その辺が、極めて面白い特徴だと思う。
 
・・・あえて意地悪に言うと、多分、「社交辞令」と「愛想笑い」がないと、日本人は『国としての一体感』を出せないんだろう。「空気を読む」というのは、『国としての一体感』を維持するためにやむを得ないのかもしれない。
 
私自身は、
 
①給料を稼ぐ場所である職場や、実名が解ってしまう公の場では、「空気が読める人間であるふりをする」
②その一方でガス抜きのために要領良く、匿名ブログやYahoo知恵袋で遊びつつ、実名Facebookでは信頼できる親しい友達の内輪で、ホンネに近い話をする
③これらを状況次第で上手に使い分け、今の所、海外に比べれば圧倒的に平和で、生活しやすい日本と言う国で、家族と自分自身の人生を楽しく生きたい
 
・・・と考えている(*^_^*)
これこそが、現代版、「ホンネ」と「タテマエ」の使い分け・・・と言ったら言い過ぎか?
 
以前、149の記事に書いたが、「ホンネ」「タテマエ」を使い分けるという概念そのものが、少なくともアメリカ人やイギリス人には存在しない。多分、中国人も同様。意外にも、日系人の大統領候補が出たと言う、ヨーロッパのチェコには本音と建前の使い分けがあるという噂を聞いたが(笑)
 
日本語と英語の狭間で仕事してて楽しいと思えるのは、まさにこういう発見にある。
 
弊ブログ記事【(149)「本音」「建前」即是空】
 
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2013/12/17追記
大学生の人が、チェコで見つけた本音と建前の使い分け。こういうのに気付ける経験は、若い時にたくさんしておいた方がいいと思う。
 
チェコと日本が似ている(本音と建前を使い分ける)のは、日本の場合は、家族のウチとソトを分ける文化があったから。チェコの場合は、諸外国の侵略の脅威にたびたび脅かされ、自分達の文化は守りつつ(ホンネ)、相手には逆らわない(タテマエ)という必要性があったからじゃないかと、個人的には考えている。
 
この記事にある、中国や北欧のスウェーデンなどの個人主義が強い国々(アメリカ・イギリスもこのグループ)とは、明らかに違う文化がある。
 
一方で、世界はグローバル化しているので、個人主義は集団主義側に引っ張られ、集団主義は個人主義に引っ張られ、マクロでは世界は画一化方向に進み続けている。多分、少なくとも我々の世代が老人になるくらいまで(あと30~40年)は、まだ国民性は残っているだろうが、その後は解らない。

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