2016年11月25日金曜日

(291) ライフログとしてのFacebookと匿名ブログ

先日、日経新聞に「ライフログ」という言葉が出ていた。
 
【ライフログ(Wikiより)】
ライフログとは、人間の生活を長期間に渡りデジタルデータとして記録すること、またその記録自体を指す。 近年、ライフログという言葉が広く社会的に認知されつつあり、例えばブログのような日記の類もライフログと呼ばれることがある。
 
10年前には、まだライフログなどという言葉はなかったと思う。多分、ハードディスクを始めとした記録メディアの容量の問題があったから、技術的に難しかったんだろう。ところが、今は、容量の問題はもう解消されている雰囲気だ。
 
私の子供達(主に長男7歳)の成長記録は、ビデオと写真に撮り続けているが、既に膨大な枚数と容量になっている。でも、次男(5歳)の方は、長男に比べると少ない。やはり、初めての子供である長男の時の方が、どうしても初イベントが多く、記録したくなってしまうんだろう。整理の方が追い付いていないが、パソコンと外付けHDの容量の方は、問題ない。
 
だが、疑問がある。息子達なんかは、もう生まれた時からFacebookや匿名ブログなど、「ライフログ」として使えるツールがたくさんある。
 
でも、大勢の人がライフログを記録して、将来それをどう使うんだろう?
 
極論すれば、1日24時間のライフログを録り続ければ、それを見るのに24時間かかる。その『過去のライフログを見ている』自分のライフログを24時間撮れば、その人はライフログの世界で生き続ける事になる。そんな事はあり得ない。
 
つまり、ライフログの「編集」「凝縮」「枝葉末節の削除」みたいなものがないと、ライフログは意味を持たない。
ライフログは所詮、「過去」である。
 
例えばこの私の匿名ブログも、Facebookも、全人類(或いは日本人)をマクロでみれば、ライフログとしての『量』は増え続けている。その増え続ける状態は今後も変わらないだろう。という事は、遅かれ早かれ、
『もう、必要な情報以外いらね~よ!!!』
 
という状態になるんじゃないかと思う。
 
過去、こういう記録がなかった時代に比べると、「歴史」というものに対しての信憑性は増すだろう。勝者による「自分達に都合がいい、歴史の書き換え」みたいな事の難易度は上がっていると思う。しかし、それ以外の意味で、ライフログってそんなに価値があるんだろうか?
 
Googleが好例だが、膨大な情報の中で、『検索ワード』に関連して、現代を生きる人にとって最も有用な情報がトップ表示されて活用されていく一方で、それ以外の情報は全て膨大な数の情報の中に埋もれて行く。つまり、ライフログを録っても、その大部分は活用されずに人の眼に止まらないまま忘れ去られていく。いくらハードディスクの容量があったとしても、永遠ではあるまい。
 
既に、古典やアニメ、音楽、映画、いずれも先人達が素晴らしいものを生み出しているから、最近は「リバイバル」「復刻」「オマージュ」的なものをよく見かけるようになった。つまり、現代を生きる我々は、「後世のために自分が何かを残したい」と思って(自分に関連する)ライフログの価値を高く見積もるが、苛烈な競争を経て、残るのはほんのごく一部。
 
つまり、自分のライフログなんて、結局は『自己満足』だと割り切って、捨てる事を考え続けるくらいの方が人生楽しいと思う。
 
『断捨離』という言葉を最近よく聞くが、これから、益々「捨てる事」が大切になるような気がする。
 
捨てたくないと思っていたものでも、捨ててしまえば、意外にスッキリする事って多い。本当に大切な事って、頭の中にエッセンスとして残るので、自分が生きている間なら、ほとんどのものを捨ててもいいくらいなんだろう。
 
Facebookの方は、とりあえず1カ月を記録の保存期間とし、それ以前のものは捨てる事にした。これにより、少なくとも自分のウォールでは、多少失言しても、1カ月経てば消えるんだから、書き込むのが気楽になった。
 
この匿名ブログの方も、いつか同じような事をしたくなる日が来るかもしれない。匿名が確保できている間は問題ないが、匿名がバレるリスクを考えた時、(極論すれば)俺が死んだ後この匿名ブログが残る事は、俺の子孫にとってメリットがある事なのか?
 
もし仮に、本日2012/10/11現在で291件となった記事の中に、日本人の誰かにとってメリットがある内容があるならば、その内容は誰かにコピーしてもらえるか、別の所で形を変えて話されるかされて行くだろう。
 
でも、(これは自信過剰・考え過ぎ・勘違いと捉えられる可能性が高いが)、自分の考えの中に、時代の先を行っているものがもしかすると多少は含まれているかもしれない。もしそういうものがあったとするならば、それは現時点で消すのはもったいない。
 
だから、とりあえずこの匿名ブログに関しては、過去記事は消去せず、現状のままにしておこうと思う。
 
匿名のmichitenjiが注目される日が来るかも・・・(大きな勘違いか??)
自分が死期を悟った時にはブログを廃止し、全てデータ消去するか・・・(まだ最低40年くらいは生きたいが)
 
・・・Facebookではこういう傲慢な事は書けないが、匿名ブログなら、多少は夢を見て、勘違いしても大目に見てもらいたい。皆様、何卒ご理解の程m(__)m
 
話を最初に戻して、私の息子達のライフログ(写真・ビデオ)の話に戻るが、私の息子達からはいつか、「結婚式披露宴の時に使うくらいしか使い道がないんだから、せいぜい5分くらいに編集しといてよ」って言われるかも、と感じている。現時点ですら、最低3,000枚の写真、最低50時間はあるビデオ映像なんだが。
 
私の静岡の実家では、私の生まれた時からのアルバムを大切に保存しておいてくれているが、正直、私にはあまり必要ない。息子達にとっても、父親である私の若い頃のアルバムなんて、迷惑千万だろうし。
 
ライフログなんて、所詮、その程度のものなんだろう。
 
先週末も幼稚園年中の次男の運動会だったが、子供の成長記録を撮るというのは多分、親の自己満足だ。いつか息子達が親離れする時、妻と二人で抱き合って、懐かしいと涙を流しながら、5分に編集しなきゃいけない時がやってくるんだろう。
 
そういう時が来て欲しいような、来て欲しくないような・・・
 
ま、人生、今のその瞬間を思うがまま、精一杯生きるのが一番幸せな生き方なんだろうなー

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