2013/3/22加筆
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我が家の6歳と4歳の息子達を育てていく時、強く影響を受けている佐々木正美先生。
この、「母性と父性」という記事は、秀逸だと思う。子供の健全な発育のためには、「母性」が先、「父性」が後、という考え方に、強く共感する。
かつて、「母性保護論争」というのがあったそうだ。
1918年(大正6年)、女性の社会的地位向上と、子育てとの両立に関して、議論があったんだろうと思う。
母性(Wikipedia)
これによると、フェミニストの方の中には、「母性そのものを考える事自体が性差別」と考える方もいるようだ。
言いたい事は解らないでもない。
しかし、昨今の少子化、日本人全般が自我の確立におぼつかなさを感じている事、かつては当たり前だった、先輩と部下の飲み会の席での説教がなくなっており、全般的にコミュニケーションが浅くなっている事など、その遠因として、母性を十分に子供に与えるという事がうまくできない家庭が増えているのではないか、という気がする。
ひきこもりという現象は、逆に、子供が小さい時期に、「父性」をうまく生かすような教育が家庭の中でできず、「母性」の方に偏ってしまう事が、発生原因の一つのような気もする。
上述の佐々木先生の記事にある通り、母親も「父性」は発揮できるし、父親も「母性」は発揮できる。しかし、これからの将来を担う、子供の立場に立って、「母性」「父性」両方が、上手にバランス良く、各家庭の中で発揮されているかどうか考えるという視点は、重要な気がしてならない。
特に、核家族化している状況下で、仕事で多忙を極める父親、育児に追いつめられる母親、というパターンに陥るケースは、日本中で相当数あるような気がしてならない。
一番大切なのは、次世代を担う、出来る限り多くの子供達が、温かい家庭の中で幸せに育つと言う環境づくり。「他の家庭の問題には口出ししない」という癖が、日本文化に根強くあるような気がするが、きちんと次世代の子供達を育てるという事を真剣に考えないと、将来、本当に日本民族が絶滅する危機感を感じる。
昔も今も、世界中どこでも、全ての家庭が温かいとは限らない。問題のある家庭は、ある一定割合で発生する。特に景気が悪くなったり、所得格差が拡がったり、お互いに助け合い、(上手に)家庭同士でお互い監視し合う仕組みが機能しなくなると、家庭内で問題が深刻化してしまうケースが発生してしまう。それを放置・見て見ぬふりすると、社会は手痛いしっぺ返しを食らう事になる。
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