2016年11月24日木曜日

(235) 土佐日記(紀貫之)

土佐日記(紀貫之)
 
成立935年。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」の冒頭が非常に有名。
当時、紀貫之が生きていた時代は、
「漢文は男の文学」
「ひらがなは女の文学」
という住み分けがあったようだ。
 
これを見て、ふと考えた。
 
同時通訳者は圧倒的に男性よりも女性の方が多い事、6歳くらいまでで、男の子と女の子とを比較すると、明らかに女の子の方が言語能力(特に会話能力)が高い事、自分の周囲を見渡すと、一般的に男性よりも女性の方が、第二言語を覚えるのが上手な人が多いように思える事、これらを総合すると、女性の方が、「会話」は上手、もっと言うと、「音声脳」が発達しやすいのかな、と以前から感じていた。
 
じゃ、男は、会話で女性に負ける事が多いけど、女性に対して言語面で強みを持てないのか?と漠然と以前から感じていたんだが、もしかして、「視覚脳」の方は、「音声脳」を犠牲にしている分、男性の方が発達させやすいかも、と考えた。つまり、「漢字仮名交じり文」の平均的な読解力に、性差が出る可能性はないだろうか?
 
冒頭の平安時代の「漢文は男性の文学」という慣習、今の時代じゃ「女性差別」そのものと言われるだろうが、当時は何らかの合理的な理由があった可能性もある。
 
仮に、女性の「会話能力」を当時、社会が高い評価をして活用していたとすれば、だからこそ、女性は表音文字である「ひらがな」に特化してもらう一方で、漢文を男性が一生懸命に勉強した事に、何らかの合理性があったかもしれない。
 
そう考えると、辻褄があうような気もする。
 
私が3番目に尊敬する、(故)米原万里さんは完全な例外であり、特別な方だが、それ以外の俺が知っている女性の方達は、多くの場合、俺の「理屈っぽい」話を嫌う傾向があるような気がする。週刊ダイヤモンド、日経ビジネス、東洋経済新聞など、ビジネス誌を読んでいる読者って、多くは男性じゃないだろうか?
 
つまり、日本人平均で見れば、男性は女性よりも「会話」は苦手だが、「文章を読む」事に関しては、逆に男性の方が女性よりも得意かもしれない。かつ、日本語の特徴として、漢字仮名交じり文の読解能力、発信能力は、(老眼を除き)加齢による劣化の影響を受けにくい、つまり、40代、50代、60代になっても本を読めば読むほど、能力を向上させられる気がする。そう考えると、日本人経営者が海外に比べて年配の男性が多いような気がするのも、これが一因かも?などと考えたりする。
 
表音文字を使っているアメリカ人が、電子メールがあまり好きじゃなく、会話を好む傾向がある一方で、我々日本人は結構メール好きだったりするのとも、イメージが重なる。音声脳重視か、視覚脳重視か。本を読むのが好きで、活字中毒に近い俺は、明らかに「視覚脳重視」タイプだが、それはある意味、「典型的な日本人」かつ、「典型的な男性」なのかもしれない。
 
漢字仮名交じり文の発明の前には、漢文だけ、ひらがな/カタカナだけ、と2分していたはずだ。漢文はレ点や一二点を振って、解読、解釈されていた。それが発展して、現在の漢字仮名交じり文に進化したんだと思う。
 
俺自身、自分でサラリーマンとして、これからも安定して飯が食える仕事を確保するためにいろいろ考え、勉強していたら、「漢字仮名交じり文」の重要性が気になったり、「世間」が気になったりして来た。それで気の向くまま、考え続け、ここに記事を書いて来たんだが、どうも最近、周囲の人達に話しても「難しすぎて、何言ってるか解らない」と反応される事が増えて来てしまった。
 
そろそろ、やり方を変える必要がある時期なのかもしれない。俺の「つぶやき」は、今後もここに適当にこぼすとして、「誰かに理解して欲しい」という欲求は、しばらく棚上げする事をイメージしてみようかと思う。
 
俺の様々な考察が、世のため人のためになるかは全く未知数。でも、せっかくだから、世のため人のためになるよう、上手に活用して行きたいな~。

0 件のコメント: