2016年11月22日火曜日

(208)偉大なるじいちゃん

さて、ばあちゃんに続き、今度はその夫である、俺から見るとじいちゃんの話。
13年程前に死んでいるが、このじいちゃんもまた、立派な、凄い人だった。
 
確かばあちゃんの3歳くらい年上、大正10年くらいの生まれだと思う。
高卒で働き、缶を作る大手企業一筋、55歳まで勤めた。
「頑固じじい」そのものの人で、政治的な駆け引きというものを知らず、
上司だろうと偉い人だろうと、自分が信じる正しいと思う事を、「口が悪い」という陰口を省みず、言い続けた。
 
今もそうだと思うが、そういう人は、得てして偉くなれない。
部下からは非常に慕われ、55歳の退職時には、子会社の工場長や社長になるという噂もあったらしいが、
上の人からの受けは良くなかったに違いない。
結局、田舎に土地と家を買って、缶の会社と縁を切り、そこで55歳からの余生を生きる道を選んだ。
手先が器用で日曜大工が得意で、その家のデザインにもこだわりがあった。子供が遊べるよう、あえて庭側の陽の当たる廊下を長く、広く作り、庭にはこだわって選んだ大きな石が5~6個。
 
さて、俺は、関西の比較的、都会に近い所で小、中、高を過ごしたが、
夏休みと正月休みは必ず、今回帰省した静岡県の田舎で過ごした。
新幹線と在来線を乗り継いで、田舎に帰り、そこでじいちゃんとばあちゃんが、俺を世話してくれた。
 
じいちゃんは、俺が小学校の時から、俺と近所の子供達を数名連れて、海水浴に連れてってくれたり、近所の子供達もひっくるめて、海水浴帰りに飯を食わせてくれたりしていた。今は、何かあった時の責任が取れないから、近所の人が、他の家の子供を遊びに連れて行くのは極めて稀だと思う。
 
実は、一昨日(5/5)、2歳年上の、隣に住む幼馴染と約27年ぶりに、二人で近所のスナックで少しだけ飲んだ。
俺は次の日、渋滞の中の運転があったので、夜11時前には切り上げたが、昔話はじいちゃんの事が中心だった。
 
40歳近くなると、お互い、いろんな事がある。隣の幼馴染(XXちゃん)は、今、明らかに「やんちゃ」な顔をしていて、正直、ちょっと怖かった。でも、二人で飲みに行く前に、仏壇の前でじいちゃんの写真を見ながら線香を上げた。そのXXちゃんは、「じいちゃんの写真を見ると背筋がピンと伸びる」と言っていた。
 
以下、俺も知らなかった、XXちゃんからの話。
- じいちゃんは、地元の自治会では「ボス」みたいな存在感があった。
- 地元でも、皆が一目置いていた。
- 曲がった事が大嫌いで、子供が悪い事すると、真剣に怒った。
- でも、大人達が悪い事してると、それよりももっと凄い勢いで、怒った。
- 約30年前にあった、地元の空港建設反対運動に積極的に関わっていた。当時は、空港建設で景気を活性化させるというのが当たり前の世論で、「空港は無駄」という意見は、少数派。実際、じいちゃんは「白い目」で見られたりしていたらしい。
- その空港は、今は、「無駄な地方空港」と言われ、赤字を垂れ流し続けている。空港建設の利権で得した人は大勢いたが、そういう得した人は、蜘蛛の子を散らすように、巧みに姿を消していった。
 
27年ぶりに会った、XXちゃんと二人で、あだ名で呼び合い、
俺達、じいちゃんの志、受け継がなきゃいけないよな、って熱く語り合った。
 
たまたまだが、そのXXちゃんは、奥さん抜きで、
自分の息子さん(10歳過ぎ?)と、その友達3人くらいを車で連れて、
俺達が飲んだ日、車で1時間以上の場所に潮干狩りで有名な場所に連れて行ったそうだ。
じいちゃんが俺達にやってくれた事と同じ事を、XXちゃんは、その日にたまたま、やっていた。
 
そこでたくさん採って来てくれたアサリを俺達の家におすそ分けに来てくれた時、
俺の方が思い立って、久しぶりに飲まないか、誘ったというのが経緯だ。
 
同じ日、妻に頼んで、息子達二人は家の目の前(徒歩2分)の砂浜で潮干狩りをやっていた。
そこで息子達2人は小さなハマグリを4個見つけて大喜びだった。
俺は、オヤジの病院への見舞いで一緒に行けなかったが、
アサリは味噌汁、ハマグリはお吸い物にしてもらって、おいしく頂いた。
 
じいちゃんが、俺達二人に、何かメッセージを伝えてくれたのかもしれないな、とXXちゃんと二人で話した。
「シンクロニシティ」かもしれない。
 
首都圏にいて、サラリーマンとして出世していくには、「政治も必要だよ」と思うようになっている俺自身が、なんとなく嫌に思えた。
 
神奈川県の、俺の家の近所の公園は、子供がボール遊びしていて、そのボールが家に飛んできたからという理由で文句を言う人がいたらしく、その公園はボール遊び(キック)が禁止になった。それだけじゃ飽き足らず、広場の真ん中に意味もなく3本の木が植えられ、小学生の子供たちにドッジボールができないようにした。
 
また、幼稚園の帰りに公園で騒いでいる子供がうるさいと、その公園の近所の人が幼稚園に文句を言ったらしく、幼稚園の先生が「なるべく静かに家に帰って下さい」と俺達保護者に言う姿を見て、「大丈夫か、この国は」と思った記憶もある。
 
一方で、俺が10歳頃だった30年くらい前には、静岡の田舎では、小学校6年生の子がリーダーになり、それ以下の子供達と一緒に、家の目の前の空き地で野球やったり、缶蹴りやったりしていた。ファミコンも既にあったと思うが、外で遊ぶのも楽しかったので、結構皆、外で遊んでいたと思う。小学校6年生のお兄ちゃんがすごくカッコ良く見えたが、順番に、皆『お兄ちゃん』になっていった。遊びが、最高の勉強だったんだな、と今になって心からそう思う。
 
しかし、今回のGW連休中、俺は田舎で、結局1度も近所の子供達の姿を、家の外で見なかった。我が6歳と4歳の息子達は、すぐ近くの海で潮干狩りをしたが、それ以外の時間はずっと家の中でWiiをやっていた。
 
じいちゃんが生きていたら、俺達大人をみんな、叱るかもしれない。
「お前ら、バカか?」
「子供が遊べんように公園を改造してどうする!」
「大人が助けてやって、子供達同士が外で思いのまま遊べるようにしてやるのが、大人の義務だろう!!」
きっとそう怒鳴るに違いない。
 
・・・世代間格差なんて言葉が流行っている今の状況を、
あの世でじいちゃんはどんな思いで見ているんだろう。
 
 
煙草のハイライトが大好きで、結局最後は肺がんで死んだが、最後までタバコは辞めなかった。
脳にガンが転移してしまったのか、最後の2カ月くらいはボケが激しかった。
完全にボケた後、おむつをするのが嫌だったらしく、自分のウンチを、ばあちゃんに投げたりしたらしい。
でも、ばあちゃんとお袋、二人で最後まで介護して、じいちゃんは自宅の畳の上で死んだ。
通夜は葬祭場じゃなく、家で上げた。通夜の日、訪問の人が大勢来た。
 
我が子を持って、最近やっと、じいちゃんの偉大さに気付いた。
俺にとって、父親は二人いると言っていい。
オヤジももちろん尊敬しているが、じいちゃんも、心から尊敬している。
 
男と女は、やはり親として担う役割が全然違う気がする。
俺には、ばあちゃんやお袋のように、オヤジのおむつや、ウンチを処理できる自信がない。
 
でも、じいちゃんが担った役割は、ばあちゃんには、絶対にできない。
今の世の中で、これから俺は何をやっていくべきなのか、よく考えなければならない。
 
息子達二人の父親であるのは当然だが、それだけでいいのか?
 
家族という最小構成単位で高度経済成長期に
日本が成り立ったのは、
「ちょっとだけおせっかいな近所のオヤジ、カミナリオヤジ」
「ちょっとだけおせっかいな世話好きオバちゃん」
みたいな人が大勢いて、それが民生委員(ちなみに、ばあちゃんも民生委員経験者)になってくれたり、
困った人を救ってくれたりして、実質的なセーフティネットの役割を担っていたんじゃないかと思う。
 
そのセーフティネット、本当に国や地方みたいなもので、代行できるのか?
形だけ代行しても、意味はない。金の問題じゃない気がしてしょうがない。
 
「仮に親に問題があっても、親身になって救ってくれる人がいる」という状態を作る事、言うは易く行うは難し。
でも、家族間格差を本当になくしたいと、俺が本気で考えるなら、この問いから逃げちゃいけないんだろうな。

0 件のコメント: