さて、大正13年生まれのばあちゃん、我が祖母ながら、この人が凄い大人物。
3歳くらい年上のじいちゃんを、13年前くらいに亡くし、膝が悪いので、家の外にはほどんど出れないが、まだ全然ボケていない。しかし、とにかく話が長い。そして、昔話をし始めると、止まらない。そして、孫の俺と、曾孫である俺の長男、さらには、ばあちゃんの弟(60歳過ぎ)の名前が、たまに混ぜこぜになり、話を聞くこっちは、「暗号解読」しているような気になる時もある。
しかし、戦争を経験し、橋本氏病という病を乗り越え、「わしゃ、もういつ死んでもええよ~」と達観しているばあちゃんの言葉には、とんでもない深みがある。
まず、戦争経験について。
実のお兄さんを、戦争に取られた経験をしている。
お兄さんは、22歳の時、南方で戦死。
お骨を拾いに、ばあちゃんは50過ぎの時にサイパン(かどっかの島?)に行ったらしいが、そこは、「骨だらけ」だったらしい。本で読んだが、南方戦は悲惨だったらしく、補給線が伸びきった現地では、食い物がなく、「餓死」と行ってもいいような死に方をなさった方も大勢いたそうだ。ばあちゃんが18歳頃、戦死したお兄さんが20歳くらいの時に、実のお兄さんを戦争に取られるのを見送り、どれがお兄さんの骨かも解らないような現地を見たばあちゃんは、戦争の事をあまり話そうとしない。「忘れたい」のに「忘れられない」という苦しみ、笑顔の下に持っておられる。
次いで、橋本氏病について。
橋本氏病(Wikipedia)
一人っ子であるお袋は、その事を60歳過ぎてから知ったそうだが、ばあちゃんは、お袋の下に、5~6人を流産しているそうだ。お袋が、じいちゃんが死んだ時の相続手続きで、ばあちゃんの戸籍を隣町の役所に車で取りに行った時、死んでいる、お袋にとっての「弟や妹達」の名前を見つけてしまい、ばあちゃんに問い詰めたら、白状したそうだ。その赤子達の亡骸は、ばあちゃんの実家の方のお墓に、ひっそりと眠っているそうだが、ばあちゃんは、そこにお袋がお墓参りしようとするのを止めようとした。「知らなくていい事」「知らない方が良い事もある」という言葉の重み、ばあちゃんの事を考えると、感じざるを得ない。「水子」という言葉が昔からあるが、夫婦、特に母親にとっては腹を痛めて産んだ「子供」でも、その子孫にとっては、抱えきれないのかもしれない。それを、実の娘が60歳過ぎるまで、しかも、戸籍謄本(抄本?)を娘が取りに行くと言う『事件』が起こらない限り、墓場に持っていこうとした、ばあちゃんが凄い。
同時に、13年前に死んだじいちゃんが、どういう思いで、一人孫の俺を可愛がってくれていたかと思うと、俺は、どんな事があっても、これからも強く生きなきゃならん、と使命感にも似た思いを感じてしまう。・・・また、この死んじゃったじいちゃんも、偉大なんだよなあ・・・また別の記事で書くと思うけど。
ばあちゃんは、死んだじいちゃんから、「お前は、いくら子供を作っても流産しちまう」と言われていたそうだ。結局一人娘となったお袋が無事に生き続ける事が、じいちゃんとばあちゃんにとってどれ程かけがえのない事か、想像するに余りある。そして、死んだじいちゃんもばあちゃんも、お袋の一人っ子である、一人孫の俺の事を、もの凄く可愛がってくれた。じいちゃんとばあちゃん、男の子も凄く欲しかったんだろうな、と自分も子を持った、最近になって気付いた。
ばあちゃんが橋本氏病である事を知ったのは、多分ばあちゃんが50歳を過ぎてから。製薬会社で38年間働いたオヤジが、ばあちゃんに医者を紹介し、そこで診断を受けたら、「橋本氏病」(甲状腺機能低下症)と言われたそうだ。医学の進んだ今は、甲状腺治療で有名な伊藤病院等で、ホルモン治療みたいなもの(?)で流産を防げるんだと思うが、ばあちゃんの時代は、そんな事は誰も知らなかったんじゃないかと思う。戸籍に乗っていると言う事は、多分、5~6人のお袋の弟妹皆、産婆さんに取り上げられ、一度は生を受けた後、死んでしまったんじゃないかと思う。その死を受け入れる苦しみ、いかほどのものだったか。
でも、よくよく考えてみると、お袋の『弟や妹』だった事を考えると、お袋自身、子供心に、流産の事は解っていたのかもしれない。その時のじいちゃんやばあちゃんの苦しみを、幼少期のお袋は見ているはずだ。その辛すぎる記憶は、もしかするとお袋は心の奥底に眠らせたままだったのかも。お袋は俺が小学校低学年の時、一回流産している。その時が、お袋の躁鬱病の初発だったんだろう。その時は俺は小学生で、かすかに記憶がある。それ以降は一度もなかったが、別の記事で書いた数年前が再発だった。流産のショック(初発)・自分の夫(オヤジ)が死んでしまうのでは?という、身内の死の恐怖が引き金だったんだろうと思う。(これ以上は俺も考えちゃいけない・・・)
さて、そのばあちゃんに、俺の2人の息子達の顔を見てもらう時、例えようもない程幸せそうな顔をしてくれる。
そんな大正生まれのばあちゃん、蒲団の訪問販売や、健康器具の訪問販売の押し売りに負けて、何回か買っちゃっている。オヤジ(ばあちゃんの義理の息子)が、「俺がいない時に限ってあいつら来るから、許せん」みたいな事を言ってたらしい。
また、ばあちゃんは、知り合いに借金を頼まれると、つい金を貸しちゃって、金が帰って来なかった事もある様子だ。それについては、同居している俺のオヤジが、「そんな金貸すなんて、俺に許可取れよ」みたいな趣旨で(好意で?)ばあちゃんに話したら、ばあちゃんは、「それは、あんたにとやかく言われる事じゃない。ワシの金をどう使おうと、ワシの勝手じゃ」みたいな感じで、すごく険悪なムードになったようだ。その後は、ばあちゃんとオヤジの間にお袋が挟まれて、切ない家族喧嘩になってしまったようだ。
年寄りの3人暮らしは、こういう、『煮詰まる』という現象が起こりやすい。孫とか、曾孫とか、無邪気な子供をそこに入れた方が、安定化する気がする。サザエさん家では、多分、タラちゃんがいるから、波平さんとフネさんの夫婦喧嘩が少ないだろうな、そんな事を考える。
しかし、一昨日、ばあちゃんが言った言葉
「戦争の悲惨さを実際に経験した自分達は、幸せはお金じゃ買えんという事が肌身に染みている。でも、その事が解るワシらと同じようになれと、戦争を経験してない人達には言えん。そりゃ無理っちゅうもんじゃ」
この言葉は、本当に深い。
俺達世代は、この言葉を本当の意味で理解する事はできなくても、戦争体験者の言葉として心に刻み込み、絶対に、あんな悲惨な戦争は繰り返さない、「お国のために自分の命・家族を犠牲にするんだ」などという『世間/空気』を作り、実質的に一人一人の血の通った人間に自己犠牲を強要するなんて事を、絶対にやっちゃいけない。
しかし、3万人/年の自殺者、過労死の発生、親子心中的な事件、子殺しが現在進行形で続いている事に、日本人が持っている根強い家族文化、「冷たい世間」を前提としたシステムが残ってしまっている気がするのは、俺の気のせいか?俺が、世代間格差の是正も大切だが、家族間格差を是正する事も大切だと思うのは、これが理由だ。
さて、いつまでも長生きして欲しい、ばあちゃんなんだが、しばらくは生き続けると思う。ばあちゃん自身は、「順番間違えずにワシが先逝って、XXちゃん(オヤジの事)が先に死ぬなんて事あっちゃいかん」と言ってるんだが、現状を冷静に分析すると、残念ながら、71歳のオヤジの方が先に死んじまう可能性が出て来ている。
そうなってしまった場合、俺と同い年のあの築37年の実家に、お袋とばあちゃんが二人で住む事ができるだろうか。車がなきゃ生活できない場所だが、オヤジが先に逝ったら、お袋は支え合う相手がいなくなり、そこから幸せな人生を多分生きるのが難しくなる。
そう考えると、こっちに来てもらうしかなくなるだろう。
だが、今度は墓の問題が出て来る。ばあちゃんは、じいちゃんの思い出がある「ここに骨を埋めたい」と本音で考えているだろうが、お袋が参ってしまったら、本末転倒。
あーーーーーー!
考えるの辞めた!!
仕事しよう。
なるようになるさ。
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