2012/4/23 加筆・修正(読後感追記)
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東野圭吾さんの小説に、久しぶりに感動した。
「ガリレオ」シリーズしか読んだ事がなかったが、その前に発表されている、
パラレルワールド・ラブストーリーを今朝、電車の中で読み終えた。
(読み終えたところで中吊広告に気付いて、途中下車して文春買って、紳助さんの記事を読んだ)
このパラレルワールド・・・、完全に俺のツボにハマった。
文庫巻末の、新井素子さんの「解説」が、また実に鋭い。
以下、新井さんの「解説」の抜粋。
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「一応大抵の人が認める物理法則の上で、"世界"がある程度確固としているのに較べれば、"自分"というのは、実にあやふやだ。自分を認識しているのは、所詮意識だけなんだし、しかもそれは、"記憶"って言う実にあてにならないものを根拠にしている。」
「東野さんには、"私"をテーマにした作品がいくつかあり、それがみいんな、おっもしろいんだ。(えっと、例えば、『変身』『分身』『パラレルワールド・ラブストーリー』・・・)
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会社に来る途中に本屋に寄り道して、とりあえず、『変身』を買った。
帰りの電車で読むのが超楽しみだ。
東野圭吾さん、養老先生の「唯脳論」、多分読んで相当深いレベルまで、理解されているような気がする。
個人的に養老先生の「唯脳論」を完全に理解できれば、世界が違って見える(白黒の世界がカラーで見えるようなイメージ)ような気がしている。でも、多分、自分で自分の脳を客観視するって、北野たけしさんの(自分で自分の脳を手に持って見ている)作品のように、「グロテスク」な部分があり、結構危険な香りがする。
普通、それって「怖い」ので、みんなやろうとしない。
でも、「恥ずかしさ、恐怖の向こう側に成長がある」というポリシーで最近生きてるので、最近の俺は、無性に引き寄せられる。3カ月前に、michitenji(道という道は全て天竺に通じる、されば悟空よ、出鱈目に行け)というHNで本格的にブログでの発信を初めてから、そういう傾向が強化された。
我ながら、このHNを「コテハン」にしたのは大正解だった。
30過ぎてから、ずっとクスブリ(by 浅田次郎さん)気味の自分を感じていたが、
もしかすると、俺自身のミドルライフクライシスから抜け出せる、光が見えているのもしれない。
あとは、あんまり焦りすぎると、周りの人から「引かれる」ので、極力多くを語らず、
相手側が先に発言があり、それに返事するチャンスがあった時に、
回答内容の「質を最大限高める」という形で、徐々に周囲に理解してもらえるよう、頑張って行こう。
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4/23 18:00後記
東野圭吾さんの「変身」を読み終えた。「分身」を取り合えず本屋で買った。
「変身」の読後感がヤバい。東野さんの世界に入り込み過ぎてしまい、俺の精神状態もヤバい。
最初はまともだった主人公が、徐々に徐々にオカシクなっていく、
その経過が上手に描写され過ぎていて、こっちまで徐々にオカシクなっていく感じ。
今の精神状態 : 犯罪者の心理が解るような錯覚を感じてしまっている。
こういう小説は、多分、鳥の目目線での描写しかできない英語では不可能。
対して、日本語は、虫の目目線で、感情描写が巧み過ぎて、こっちが感情移入し過ぎてしまう。
脳の疲労感Max。
連想した小説 : 「アルジャーノンに花束を」
でも、明らかにアルジャーノンに花束をの方が、涙は流れたけど、前向きで、明るい読後感だった。
「変身」の方の読後感は、ヤバい。ヤバすぎる。
この感覚は、かつて、映画「セブン」、「羊たちの沈黙」を見た後の感覚と共通。
欧米人は、このヤバいギリギリのテーマを、「映画」という、聴覚重視の表現を用い、
日本人の天才作家、東野圭吾さんは「小説」という、視覚重視の表現を用いた。
どっちを見ても、俺がこれ程の衝撃を感じてしまったのは、多分、良い意味では「感受性が強い」
でも、多分、「鈍感」にならないと、繊細過ぎて生きるのが大変。
「鈍感力」を身につける事の重要性、俺は前から感じていたはず。
だからダメなんだって、俺、こういうヤバい本を読んじゃあ・・・
「分身」を読むのは、脳が回復してからにしなければ。
あかん、脳がマヒしかかっている・・・
誰か助けて~。
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