今日の電車の中吊り広告で、週刊文春の「島田紳助さんへの独占インタビュー」というのを目にして、吸い寄せられるように途中下車して、普段なら降りない途中駅のKIOSKで週刊文春を買って、紳助さんの記事を読んだ。
島田紳助さん(本名 長谷川公彦さん)の言葉に、底知れない共感、「やっぱり、紳助さんは凄い人だ、才能、人格、申し分なく、間違いなく尊敬できる人だ」、という思いを強く感じたとともに、紳助さんを社会的に葬ってしまった、我々日本国の世間の底知れない恐ろしさを感じた。
紳助さんは、明らかに「出過ぎた杭」であって、番組によっては、タレント、司会者としての才能は、個人的には、もしかすると日本一じゃないかと思う。
普通、「出る杭は打つ」世間も、「出過ぎた杭」まで行くと、世間の目は嫉妬(Jealousy)から尊敬の眼差しに変わり、逆に褒め称え、信仰に近いような勢いで、その人の言う事を手放しで信じ、褒め称える傾向があるんだが、島田紳助さんの暴力団との関与の件に関しては、天国から地獄へ突き落すような勢いで、雑誌等は徹底的に紳助さんに不利な報道をし続けた。その手のひらの返し方は、不気味さを感じるくらいだった。
今回の記事で、特に印象に残ったのは、
極心連合の橋本会長とのやり取りの下り。
(Quote)
・・・橋本会長からはこう言われました。
「会わんでいい。いや、会うたらアカンのや。(芸能界と暴力団は)世界が違うのや。オマエとは会うたらあかんのや、気持ちの中で応援しとくから」
助けたかったら金払え、付き合えやと言われたら当たり前やけど、「付き合ったらアカンのや」と言って付き合おうとはしなかったらびっくりするでしょ。人として凄いなと思いませんか?
そういう人やから、僕も記者会見でウソをついたらアカンなと思って正直に言ったんです。男やから、何の関係も無かったとはとても言えへん。間違いなく、昔お世話になった。・・・
(Unquote)
(参考) 極心連合会
この週刊文春の記事をを読んだ時、俺が小学校低学年の頃に、両親とパチンコ屋に入って両親の膝の上で楽しくジャンパチをやって遊んでいた俺と、(多分)俺の両親を注意した、「おせっかいなおばちゃん」を思い出した。
世間というのは、不特定多数の匿名の日本人という「おせっかいなおばちゃん」じゃないのか?
しかし、この「おせっかいなおばちゃん」の影響力は、とてつもない。恐ろしさに震え上がりそうになるほどだ。あの島田紳助さんを、「悪い人と付き合いがある」という妄想にも似た思い込みだけで、社会的に抹殺できる程の力を持っている。
でも、「おせっかいなおばちゃん」は、社会的に有益なのか?
俺自身のケースなら、子供を連れてパチンコ屋に行くような、(俺の両親のような)ごく普通の大人を、
「どうしようもない大人」というイメージの存在に決めつけてしまい、パチンコ屋のイメージを悪化させてしまった。
島田紳助さんのケースなら、「芸能人は、暴力団とはどんな小さなことでも、一切関わり合いを持ってはならない」という、非現実的な妄想を、日本という国にルール化しようとしている。
ますます、息苦しい国に近付くばかりで、
結局、誰も得をしないような気がするのは俺だけか?
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