(175) 蜷川幸雄さんの続き
日経の私の履歴書の蜷川幸雄さんの記事が面白くて仕方ない。学生運動が盛んだった1960年代、団塊の世代がヘルメットかぶって世の中に不満をぶちまけていた時代、どうも歴史から消えかかっているが、この時代に舞台、演劇、音楽で表現したものは、もう一度注目する価値が十分有る気がする。
劇団青俳
明日そこに花を挿そうよ
ここでふと、鼻歌という形で思い出したのが、森田童子。俺の世代も、ドラマ「高校教師」で主題歌になった事しか知らないが、オリジナルの歌ができた当時(1960年代)の閉塞感、その時の心情を、多分色褪せずに残している。
僕たちの失敗
例えば僕が死んだら
昔、何回かカラオケで歌った事があるが、森田童子の消えそうな歌声を真似した時、何とも言えない気持ちが湧き上がって来た記憶がある。
多分、1960年代の学生運動、今の大多数の団塊世代は「何やったか解らない」「意味なかった」と振り返り、何食わぬ顔してオトナになっているんだろうが、エッジを歩いていた表現者達、蜷川幸雄さん然り、森田童子然りだが、多分、現代の俺達の閉塞感と共通する何か、それが共感なのか、打開するためのヒントなのかは解らないが、残してくれているんじゃないかという予感がする。
1960年代に学生だった、俺の両親や、もし知り合いができたら、その当時の事を聞いてみよう。
安保闘争
多分、この辺りの事件とも、密接に関わっているはずだ。
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