「犬的なの脳」と「猫的な脳」、おそらく進化の過程で、人間の脳にもインプットされている。
そして、ざっくり言っちゃうと、男は「犬的」、女は「猫的」だ。
差別する気は毛頭ありません。不快な思いをされる方がいらっしゃったらごめんなさい。
実際、ドイツ語でも、「Hund(犬)」は男性名詞、「Katze(猫)」は女性名詞だ。
これは多分、昔の古代のヨーロッパ言語では、「男性的なもの」「女性的なもの」を分けていた。
それが英語という、簡単な言葉になりシンプル、画一化した。
国際語として、英語が使いやすいのは、言語として「シンプル」であり、第二言語として使いやすいからだろうと思う。しかし、そのシンプル化により、おそらく犠牲にしたものがあるはずだ。英語では、小説や、感情に訴える文章は、日本語に比べると多分書きにくいはず。
さて、話を戻すが、「犬」=「男」の特徴。
我が家では動物は飼っていないが、
多分、犬の躾では、序列を覚えさせる事が重要。
例えば「父>母>長男>次男>飼い犬」という序列を最初に覚えさせないと、大変な事になる。仮に、「犬自身が次男よりも序列が上」と誤解すると、多分犬が家族と一緒に幸福な生活を送るのは難しい。でも、それは飼い主側の責任であって、犬は、「序列を覚え」「その序列に安心する」生き物であり、そういう脳構造をしているんだろう。この特徴により、「忠犬」「南極物語」などが成立する。つまり、犬は、「ヒト」になつく。
これに対して、「猫」=「女」の特徴。
猫は、「場所」になつく。井戸端会議をしている猫がいたりするが、猫は犬と違って、「ヒト」にはなつきにくい。
日本でも、「泥棒猫」とかいう言葉があるが、「女」と「猫」が近い事に、昔の人も気付いていたはず。
翻って、人は、男性も女性も、「ヒト」にもなつくし、「場所」にもなつく。家族を大切にし、友人を作りたいと思い、地元を愛し、愛国心(パトリオティズム)を持つのは万国共通だ。
でも、多分、その度合いは、男の方が「ヒト」というか、「犬」寄りだ。
差別するつもりはないが、女性は、会社のような組織で働く時、「ヒエラルキー」に従って上手に立ち回るのが、一般的に苦手な人が多い気がする。多分、会社のような組織、社長-部長-課長-係長-平社員みたいな、階層構造により本能的な安心を感じ、その方が安定しやすいのは、「男」であり、「犬的な脳」だ。
対して、女性は、「井戸端会議」に象徴されるように、女性同士が集まって、集団で子育てをするのが明らかに上手だ。多分、そこでは「上下関係」や「ヒエラルキー」ではなく、「横の関係」「母同士で助け合う関係」を、本能的に求めているのではないかと思う。
まさに、女性は、「猫」的な脳が、男に比べて、圧倒的に発達している。
もっと言うと、同時通訳者には、圧倒的に女性の方が多い。これは、多分間違いなく、脳構造の違いによるものだ。一般的に、女性の方が、複数の言語を同時に扱う能力が高い。
日本語と英語、男が両方を覚えようとすると、俺のように、「日本語脳」と「英語脳」に無理やり「別れている」などと強引に解釈しようとしたりするが、多分、女性はそんな事しないでも、自然に「日本語脳と英語脳」が混ざり合う。
俺が3番目に尊敬する、(故)米原万里さん(ロシア語と日本語の、天才同時通訳者)、この人の著作を見て、俺自身は、同時通訳者の女性に、英語と日本語両方を駆使する能力では勝ち目がない事を悟った。脳構造が多分違い過ぎる。
オリンピック等で、100m競争や、テニス、サッカー、等、スポーツの世界で、女性が男性に勝つのが極めて困難であるのと同様、多分、男には、どんなに努力しても、同時通訳の世界で、女性に勝つのは極めて困難だ。負け惜しみではない。多分。
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