先週金曜日、有給を取ったのだが、長男は小学校があり、
やる事がなかったので、久しぶりに、近所の漫画喫茶に朝から晩まで入り浸って、
マンガを読んだ。
前から気になっており、今も注目している漫画家さんなのだが、花沢健吾さんの、
「ルサンチマン」
「アイアムアヒーロー」を読んで、何とも言えない、複雑な気持ちになった。
花沢健吾(Wikipedia)
ルサンチマン(漫画) (Wikipedia) : 2004年の作品
アイアムアヒーロー(Wikipedia) : 2009年~スピリッツ連載中
花沢健吾さんと、俺は全く同世代。
いずれの漫画とも、言葉にできないが、激しく訴えるものがあり、
「激しく引き寄せられてしまう」
正直、ルサンチマン(2004年)を描いて、
現在進行形で、アイアムアヒーロー(2009年からスピリッツ連載中)を描いている花沢さんに、
例えようのない「ヤバさ」を感じてしまう。
両作品とも、俺達世代の心の闇に入りすぎていて、
しかも、アイアムアヒーローの方の描写は、
「これ、(誰でもKIOSKで買えてしまう)スピリッツに載せるの、まずいんじゃないか?」
「年齢制限、18禁どころか、それ以上の年齢でも規制した方がいいんじゃないか?」
という思いを禁じえない程、ヤバすぎる。
俺自身は、「ホラー映画」は苦手で、
「貞子」のような日本のホラー映画は、絶対に見れない。
映画と違って、リアルな映像と音がないから、
マンガである「アイアムアヒーロー」は、刺激は少ないはずなんだが、
絵がリアル過ぎて、正直、「半端なく怖い」
しかも、登場人物たちのセリフや、設定も、あまりにも、「リアリティ」があり過ぎて、
「こんな事、起こるはずがない」と理解しつつも、
「リアリティ、心理描写が怖い、怖すぎる」
と思いつつ、マンガ喫茶での時間が、あっという間に終わってしまった。
マンガ喫茶での帰り、少々心神喪失状態で、
現実に戻るまでちょっと時間がかかったくらいだ。
花沢さんは、多分、俺達、就職氷河期世代の中で、
「非リア充」と自他によって分類している人達の心の闇を、
(それを極端にして)漫画作品と言う形で、表現されている気がする。
上述した2作品が、
「あり得ないフィクション」であると同時に、
「妙なリアリティ」があると、俺が感じるのは、多分その為だと思う。
こういう作品を見ると、一般人である俺は、2種類の影響があるんじゃないかなと、つい思ってしまう。
①作品によって、心の闇が晴らされる効果 【良い効果】
②作品によって、(模倣して)犯罪(的な行為を含む)を後押ししてしまう効果 【悪い効果】
極端に言うと、
①の効果を信じるのが、「言論の自由」
②の効果を恐れるのが、「規制が必要だと言う意見」
だと思う。
多分、①を信じて、「言論の自由」を謳歌していればいいとは思うんだが、
両作品の「心の闇」が余りにも恐ろしくて、金曜日のマンガ喫茶、その帰り道では、
俺は何とも言えない気持ちになった。
他人事ながら、俺と同世代の「花沢健吾さん」という作家さんご自身は、
心を「まとも」な状態で維持できるんだろうか?
人間だれしも、「悪い事、恐ろしい事」を考え、心の中や夢などで想像する事はあると思う。
しかし、それを実際に具体的な形にするというステップまでに、大きな壁、或いは段差があるような気がする。
「怖いもの見たさ」「人間、知らない方が良い事もある」という言葉に象徴されるような、
こういう「塀」にも似た、境目の上を歩いたり、境目を行ったり来たりするのが、
世の中で、芸術家、音楽家、作家、漫画家、映画監督、など、表現に携わる人たちじゃないかな、と思う。
花沢さんの作品を読んで、なんとなく、
花沢さんは、その壁の向こう側(行ってしまうと、危ない領域)に
足を踏み入れてしまっているような、そんな印象を持った。
過去、太宰治さん、尾崎豊さん、等、作家として優れた作品を残した人自身、
世間で言う所の幸せが得られずに亡くなってしまっている事を、
つい想像してしまった・・・
今、花沢さんのTwitter、ちょっと覗いてみた。
やっぱり、やばい心理状態にハマってしまっている気がする。
「自分も不幸。不幸な奴ら集まれ」という、思考に、ハマりこまれているような・・・
もちろん、花沢さんの生き方を否定しないし、他人である俺は否定する権利もないが、
「幸せになろう」という気持ちを自分自身が持たないと、
多分、人間は幸せになれない。
・・・本当に複雑な心境だ。何なんだろう、この気持ち、後味の悪さは。
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