4月5日(木)の日経朝刊、「私の履歴書」の、蜷川幸雄さんの言葉に衝撃を受けた。
「人間はなにをうれしいと感じるかより、
何が恥ずかしいかでみた方が分類しやすい。
演出家になって、そう考えることがある。」
この4連休、この言葉をきっかけに、
俺の脳が勝手に、またいろんな事を考えた。
日本は広い。
そして、我々の日本人の先輩には、
現在、存命の人だけでも、
多分、俺がこれから一生かけて必死に勉強しても学びが足りないであろう、
凄い人が数えきれないほどいる。
蜷川幸雄(にながわゆきお)さん、
日経の「私の履歴書」が、4月の頭から、その前の住宅メーカーの会長さんから、
蜷川さんに代わって初めて、俺は、「にながわ」という、この名字の呼び方を知った。
ミュージカル好きの我が妻によると、演劇、演出家の世界では、
「知らない人がいない」程、蜷川さんは、有名な方らしい。
35歳を過ぎてから特に、自分とは専門や仕事の分野が全然違っても、
その道で有名になるような方の言葉・至言には、
衝撃を受けるような事が増えてきた。
多分、どういう道でも、突き詰めていくと、
結構人間に共通した気付き、つまり、自分の脳が、
「あ、意識はしてなかったけど、多分自分自身の脳によって、
無意識にこうやって俺は、俺自身、今までの人生を歩んできたんだな」
みたいなものに出会えるんじゃないかと思う。
その時に発せられる言葉が、多分、(蜷川さんから見れば)
人生のずっと後輩である俺の脳に、何かの衝撃を与えるんだと思う。
これって、「教育」そのものだと思う。
多分、人間(の脳?)って、
死ぬまでずっと「学びたい」「成長したい」という欲求を持ち続ける。
こういうのを繰り返して、人間の脳の成長システム(教育)は
洗練され続け、それに伴って、「文化」「文明」が発展していくんだろうな。
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