2016年11月21日月曜日

(158) ソーシャルスタイル

2013/1/18加筆
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ソーシャルスタイル
 
「Social Style」という言葉自体を、
アメリカのTracomという会社が商標登録しているらしく、
無料で見れる解りやすいサイトがなかなか見つからない。
冒頭で紹介したサイトが、Googleの検索で1位に出てきた。
 
英語だが、以下のサイトの図も解りやすい気がした。(図だけ見てください)
 
人間の感情面を考慮した、コミュニケーション傾向を、
横軸(Assertiveness軸 : 自己主張の強さの軸)と、
縦軸(Responsiveness軸 : 興味を持って感情的に反応する度合いの軸)を平面図にし、
第一 ~ 第四象限までのそれぞれの性格傾向を分析する手法。
 
こういう、分析ツールを発明するアメリカ人と言うのは、
本当に凄いと思う。日本人脳では、なかなかこういう事はできない。
 
①第一象限(行動派、DRIVER) : 右上
②第二象限(思考派、ANALYTICAL) : 左上
③第三象限(協調派、AMIABLE) : 左下
④第四象限(感覚派、EXPRESSIVE) : 右下
 
ポイントは、この4つの分類が、
「相対的な傾向」である事。つまり、「程度問題」。
日本人が100人集まれば、約25人ずつそれぞれに分類できるが、
国民性を調べる、という使い方もできる。
 
仮に一般的なアメリカ人と、日本人、それぞれ50人ずつ、合計で100名を集めるとする。
英語と日本語という、言語の違いによるコミュニケーション面での障害がない状態を仮想的に考え、
私の体感値で分類すると、おそらく、
 
日本人50名 : 大多数が、第三象限(協調派、AMIABLE)になる
 
アメリカ人50名中、
20名 : 第一象限(行動派、DRIVER)
20名 : 第四象限(感覚派、EXPRESSIVE)
10名 : 第二象限(思考派、ANALYTICAL)
みたいな感じになると思う。
 
世界的に見ると、特に横軸(Assertiveness軸 : 自己主張の強さの軸)
に於いて、日本人は極端に自己主張が弱い
第三象限を一言で言うと、「いいひと」
 
日本中で、メンタルヘルス教育のため、「アサーション(Assertion)」が取り上げられているのは、
多くの人が、日本人の中でも、さらに日本人らしい「いいひと」が心を病む傾向があり、
それに気付いているからだと思う。
 
日本人の「世間」「空気を読む」という現象も、この、
「ソーシャルスタイル」モデルをイメージして考えると理解しやすい気がする。
 
以下、簡略化して、第一象限を①、・・・、第四象限を④と書く。
 
日本人は、「自己主張を極力否定」し、
集団で、まとまって行動するという観点に立った時に、合理的であろうとする。
つまり、皆、③の「いいひと」である事を強要しようとする傾向がある。
・・・その欲求不満の「はけ口」が、「2ちゃんねる」であり、ネットでの「炎上」だと思うが。
 
しかし、人間なので、辛い目に会ったりすると、つい自我が表に出て来る。
そうなると、④Expressiveになる人が出て来る。
その時、匿名の大勢の人間が「空気を読め」という信号を伝えようとする。
それでも④Expressiveの人が態度を変えない場合、
②Analyticalの人が出て来る(批評家)。
・・・この時に②Analyticalの人が言う言葉が『空気読めよ』的になりがち。主語を明確にせず、大勢の匿名のプレッシャーをかけようとする。
それで場が静かになると、④Expressiveの人が③いい人になり、②Analyticalの人が③いい人になり、皆が③になって「皆いい人」という状態に戻る。
 
一方で、集団として危機的な状態になる場合、
①(独裁者型)が現れる。一時期世論が猛烈に盛り上がっていた時の大阪市の橋下さんがその典型例だと思う。
多くの③の人は、①(独裁者型)を頼り、自分の頭で考えないで済む、楽な道を選ぼうとする
しかし、その姿(①の独裁型)に危うさを感じる人が出てくる(②Analyticalが現れる)
橋下さんの例で言うなら、②Analyticalの典型例が、「代替案がないならつべこべ言うな」という形で、一時期ネット世間に袋叩きされる形となってしまった、香山リカさんや、橋下さんの手法に異議を唱えた大学教授の方々。
 
皆が強い危機感を感じている雰囲気の時は、③いい人の集団は、具体的な行動・アクションを①Driverに対して強く求める。この状態の時の『空気読め』という圧力は、①Driverではなく、②Analytical(ごちゃごちゃ言うな!)、④Expressive(ワガママ言うな!)に向けられる。
 
だが、「のど元過ぎると熱さを忘れる」のも危機感駆動型の日本の世間の特徴なので、危機感を忘れて来ると、また①Driverのあら探しに向かう。①Driverだって完璧じゃないし、誰だってみな、考え方に独自性を持っている。2013/1/18現在の状況としては、衆議院選挙の結果として、維新の会に一時期ほどの勢いがなく、高校の体罰による生徒の自殺問題の処理に関して、世論は橋下さんに否定的な方向に風向きが変わりつつある。

もう、橋下さんが①Driver的な立場に戻るのは難しいかもしれない。
 
最近の日本は、こういう事を繰り返して来たと思う。(もしかすると昔からそうだったのかもしれないが)
橋下さんへの世論の極端な支持 ⇒ (その反動としての)極端な反発への移り変わりは、
過去にホリエモンや島田紳助さんが辿った道を思い起こさせる。
 
多分、①Driverへの期待が大きすぎて、相手に完璧な人間性を求め、相手への尊敬を大きくしすぎるから、その後の落胆が激しいんだろう。つまり日本の③いい人の集団心理は、完全無欠の①Driverを求め続けてしまうのかもしれない。(暴れん坊将軍や、水戸黄門などの時代劇で、もしかすると日本人の多くは、お上の無謬信仰を刷り込まれて来たのかもしれない)
 
こういう状態は、決して健康的な状態ではないと思う。
特に、「大勢の③の人達が自分の頭で考える事を放棄する」という状態は、カルト教団を彷彿とさせる
 
アメリカ人の場合は、①~④がバランスよく分布する気がする。
①の独裁型が出かかっても、②に攻撃されたりしながら、人がどんどん入れ替わって行く。
 
その一方で、集団としての統率を考えた時、厄介そうに見えるのが④の感覚派(Expressive)だ。
私からはアメリカ人のこういうタイプ(たまに、日本人のオバちゃんにもそういう人を見かけるが・・・)は、
「超わがまま、人の言う事を全く聞かず、自分の主張ばかり、ギャーギャー言い続ける」
みたいに見える時がある。
 
集団行動をする時に、④Expressiveが大勢いると収拾がつかなくなる。小学校~高校で『空気を読む』事を叩きこまれるのは、行き過ぎた④Expressiveの発生を抑えるという意味では効果があるのかもしれない。日本の教育は完ぺきではないとは思うが、Expressiveな人が多すぎる組織は、ミスも多い気がする。日本とアメリカの製造業の現場力の違いは、この辺にも理由がある気がする。
 
「There is no stupid question」(愚かな質問などと言うものは存在しない)というアメリカ人らしい言葉は個人的に好きで、実行しようとは思っているが、その一方で、行き過ぎた④Expressiveタイプの、「余りにも的外れの質問」「自分が喋りたいだけじゃねーの?」
と思うような質問/文句に対しては、(もし日本語で突っ込めるなら)
「お前、空気読めよ」と、つい言いたくなる事もある。
 
私自身は、
グローバル化の方向に、これからも環境はどんどん進み続けていく事が間違いない状況下で、
その時々、自分が属している集団に、①~④の人がどのような形で分布していそうか、
自分の立ち位置はどこが良さそうか、常にイメージしながらコミュニケーションを取って行くと、
結構人生楽しくなるんじゃないかな、と漠然と感じている。

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