2016年11月21日月曜日

(157) 雪国(川端康成)

川端康成さんの「雪国」の冒頭の英訳が興味深い。
これは、
日本語脳と英語脳の目線の違い(「虫の目」的と「鳥の目」的)
とも深く関連していると考えられ、示唆に富む。
 
 
(日本語)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
 
(英訳 by Seidenstickerさん)
The train came out of the tunnel into the snow country.
The earth lay white under the night sky.
 
俺なりに、このSeidenstickerさんの英訳を、逆に、和訳に直してみる。
 
(再和訳 by michitenji)
電車は長いトンネルを抜け出て、雪国に入った。
夜の空の下で、真っ白な地面が横たわっていた。
 
 
赤字のオリジナルの川端先生の原文と、
緑字の英文の再和訳を比べた時の考察。
 
①「電車」という主語が表れている。これは、英語の言語ルール上、そうせざるを得ないからだ。
 基本的に、英語は「主語の省略」が許されない。
 一方で、日本語の特徴の一つは、「主語の省略」
 (例 : プロポーズの言葉「I love you」 vs 「好きです」 ; これも英語は鳥の目的、日本語は虫の目的)
 
②その結果、「雪国であった」が、「雪国に入った」にならざるを得ない。
 ここで、目線が変わってしまっている。(作者の目線⇒第三者の目線)
 日本語脳は「虫の目的」、英語脳は「鳥の目的」な見方をする傾向がある事を思い起こさせる。
 
③「夜の底が白くなった」だけで、十分情景は思い浮かぶのに、
 緑色の方はそれを懇切丁寧に描写してくれている。
 
「短歌や和歌のように、短い言葉で多くを表す事に趣・風情がある」
という見方をすれば、緑色の表現は「くどすぎる」「風情がない」
 
一方で、
「誤解の生じる余地をなくし、自然描写的な、自然科学の論文調で書く」
という見方をすれば、赤色の表現は、普通使うような言語表現とは違う。
(前置き、説明がないと、「夜の底」と言われても、意味が通じない)
 
理系の大学生、大学院生は今でもそうだと思うが、
学部生なら、最初は日本語の論文投稿しても許されるかもしれないが、
多分、英語でも論文を書き、学会誌等に投稿するよう、先生に指導されると思う。
 
養老先生がおっしゃっているように、
日本語の論文を英文に書きなおす時、
「主語は何だっけ」と考え直す必要があったりする。
 
・・・すいません、以上、格好良く、あたかも自分が見つけたかのように書いていますが、
元ネタはやっぱり養老先生の以下の記事です。
 
但し、本日2012/3/30現在、私の調べた限りにおいて、
「脳内OSが日本語の場合は虫の目的な目線」
「脳内OSが英語の場合は鳥の目的な目線」
になりやすいという趣旨の事を言ったのは、多分私、michitenjiが初めてだと思います。
(これ自体、養老先生の記事への「オマージュ」ですが)
 
これは、現代社会で起こっている事象(もしかすると、日本だけじゃなくて、世界も?)の説明、
特に、日本人特有の「世間」「空気」の正体とは何なのか、を解明しようとする時、
結構応用できる気がするので、あえてアピールさせていただきました。
 
何卒、ご了承のほど。

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