川端康成さんの「雪国」の冒頭の英訳が興味深い。
これは、
日本語脳と英語脳の目線の違い(「虫の目」的と「鳥の目」的)
とも深く関連していると考えられ、示唆に富む。
(日本語)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
(英訳 by Seidenstickerさん)
The train came out of the tunnel into the snow country.
The earth lay white under the night sky.
俺なりに、このSeidenstickerさんの英訳を、逆に、和訳に直してみる。
(再和訳 by michitenji)
電車は長いトンネルを抜け出て、雪国に入った。
夜の空の下で、真っ白な地面が横たわっていた。
赤字のオリジナルの川端先生の原文と、
緑字の英文の再和訳を比べた時の考察。
①「電車」という主語が表れている。これは、英語の言語ルール上、そうせざるを得ないからだ。
基本的に、英語は「主語の省略」が許されない。
一方で、日本語の特徴の一つは、「主語の省略」
(例 : プロポーズの言葉「I love you」 vs 「好きです」 ; これも英語は鳥の目的、日本語は虫の目的)
②その結果、「雪国であった」が、「雪国に入った」にならざるを得ない。
ここで、目線が変わってしまっている。(作者の目線⇒第三者の目線)
日本語脳は「虫の目的」、英語脳は「鳥の目的」な見方をする傾向がある事を思い起こさせる。
③「夜の底が白くなった」だけで、十分情景は思い浮かぶのに、
緑色の方はそれを懇切丁寧に描写してくれている。
「短歌や和歌のように、短い言葉で多くを表す事に趣・風情がある」
という見方をすれば、緑色の表現は「くどすぎる」「風情がない」
一方で、
「誤解の生じる余地をなくし、自然描写的な、自然科学の論文調で書く」
という見方をすれば、赤色の表現は、普通使うような言語表現とは違う。
(前置き、説明がないと、「夜の底」と言われても、意味が通じない)
理系の大学生、大学院生は今でもそうだと思うが、
学部生なら、最初は日本語の論文投稿しても許されるかもしれないが、
多分、英語でも論文を書き、学会誌等に投稿するよう、先生に指導されると思う。
養老先生がおっしゃっているように、
日本語の論文を英文に書きなおす時、
「主語は何だっけ」と考え直す必要があったりする。
・・・すいません、以上、格好良く、あたかも自分が見つけたかのように書いていますが、
元ネタはやっぱり養老先生の以下の記事です。
但し、本日2012/3/30現在、私の調べた限りにおいて、
「脳内OSが日本語の場合は虫の目的な目線」
「脳内OSが英語の場合は鳥の目的な目線」
になりやすいという趣旨の事を言ったのは、多分私、michitenjiが初めてだと思います。
(これ自体、養老先生の記事への「オマージュ」ですが)
これは、現代社会で起こっている事象(もしかすると、日本だけじゃなくて、世界も?)の説明、
特に、日本人特有の「世間」「空気」の正体とは何なのか、を解明しようとする時、
結構応用できる気がするので、あえてアピールさせていただきました。
何卒、ご了承のほど。
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