2012/4/12加筆・修正
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Facebookのミッションは、以下の通りらしい。(週刊東洋経済3/31号より)
「Our mission is to make the world more open and connected.」
(私たちの使命は世界をよりオープンに、そしてよりつながれたものにすることだ)
このミッション、実にアメリカ人らしい。
アメリカ人式の哲学を前提にすると、多分心を揺さぶられるんだろう。
特に、「open」の部分がいかにもアメリカ人っぽい。
多分、彼らの思想では、「お互いopenになる事」のデメリットを乗り越えるのが当然、
逆に、それを乗り越えるからこそ、人間は皆仲良くなれる!!
・・・と多分、心の底から信じている。
そして、本音と建前の使い分けが比較的上手な、
日本人の俺にも、上のFacebookのミッションは、
「理想を言えば正しい」と、つい思ってしまう面が否定できない。
実際、Facebookが広がる勢いは、当面の間は留まるところを知らないだろう。
日本人の間での普及率も、これから相当の速度で、さらに上がって行くと予想する。
近い将来、「え、君、Facebookもやってないの?」
という会話が、当たり前のように俺達、一般サラリーマン達の間で飛び交うようになると思う。
・・・その時、「2ちゃんねらー達」の鬱屈した不満がさらに高まるのが個人的には怖いが。
さて、上記Facebookの理念に戻る。
残念な事に、おそらく現実は、
皆が善人ではなく、いろいろな事情で悪人になってしまう人が大勢いる。
皮肉な事に、
「(自由の国アメリカのように) openにすれば皆が幸せになれるんだ」
という理念の下で、アメリカが始めてしまった戦争で、
とんでもないアメリカ人兵士(でも、貧乏だから、兵士になって金を稼ぐしか生きる道がなかった人達)
が民間人を虐殺、囚人を虐待したり、コーランを焼いてしまったりして、宗教戦争化してしまっており、
現在、泥沼化してしまっているように見える。
一方で、日本人の建前・本音と、上記Facebookのミッションを見比べてみると、
うーんと、考え込んでしまう面がある。
【Openである事は素晴らしい】
「困った時には、いつでも遠慮なく頼ってください」
「本音で語り合える友達、とても重要です」
【Connectedである事は素晴らしい】
「『絆』が大切です」
「孤独死、孤立死などと言う、悲惨な事が起こらないよう、近所付き合いの大切さを見直しましょう」
これらは、ひねくれた性格の俺には、どれも皆、「建前(タテマエ)」のように思えてしまう。
俺が感じる、日本人の本音は以下の通りだ。
【Closedの方がいいよね】
「だって、何でもかんでも"open"にしてしまったら、金持ちや、リア充は嫉妬されるよね」
「面倒で厄介じゃん、変な人にストーカーみたいに付きまとわれると」
「家族のウチの問題には、世間は口出ししないルールだよね」
【Connectedは、ほどほどがいいよね】
「年賀状、適当な数で留めるのがいいよ。あんまり多すぎると、いろんな意味で大変だし」
「困った時はお互い様だけど、困ってない時はお互い自由がいいよね。近所付き合いとかウザいし。」
「亭主元気で、留守がいい」(タンスにゴンのCMより)
「別に自分が死ぬ時迷惑かけなきゃ、子供達は結婚して、独立して勝手に元気にやってくれればいい。
年寄り夫婦の自分達は、悠々自適の生活して、面倒かけずに死にたいなあ。
逆にこっちに面倒もかけて欲しくないよね。
国の膨大な借金はちょっと子供達に申し訳ない思いだけど。」
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日本人は「家族」という社会的構成単位を前提にして社会が成り立っていて、
アメリカ人は「個人」単位になっているという違いがあるからなのかもしれないが、
上述したFacebookのミッションは、現時点で、
日本人のタテマエとの整合性はあるが、
ホンネとは、かなり、ずれている気がして仕方がない。
人付き合いを「楽しい」と捉えるか、「面倒」と捉えるか、
状況や、人によっても違うだろうし、地域によっても違うだろう。
多分、首都圏・大都市圏の方が、生活が便利で、人が大勢いるため、
Facebookのような「浅く広い」付き合いを好み、
田舎は、何だかんだで、近所付き合いもある程度必要だろうから、「深く狭いムラ社会」を
残さざるを得ないんじゃないかと予想する。
これから日本でFacebookが広がって行く中で、
日本人特有の「世間」がどういう形で様々な問題を引き起こしてくるか、
生温かく見守って行こうと思う。
・・・俺はやっぱり、匿名のこのブログの方が好きだな。
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ちなみに、これは、企業もそうなっていくと思う。
大都市圏(=世界)的な企業、つまり、海外市場を追い求めざるを得ない企業群、
従業員もグローバル化せざるを得ない企業群(車、電機、ユニクロなど)は、
欧米人的な「浅く広い」付き合いに移行せざるを得ないから、
「ムラ社会」解体の方向に向かわざるを得ない。そうしないと、多分生き残れない。
日本IBMの社長が、数十年ぶりに日本人からドイツ人に変わったのが象徴的。
一方で、田舎的な企業、つまり、
日本国内のニッチ市場で生き残ろうとする企業群は、日本国内での競争力を維持するには、
「ムラ社会」(年功序列、終身雇用、ファミリービジネス)を残す方が、おそらく競争戦略上、有効。
顧客が日本人、働くのも日本人なら、グローバル的な経営手法を取るのは、意味がないし、
客視点でもマイナス影響の方が大きい気がする。
ソフト99、オーデリック、やまやさんや、現時点で絶好調の国内小売業なんかは、その典型に見える。
但し、日本の少子化の進展、日本の膨大な財政赤字をどう処理するか、
世代間格差をどう解決に向かわせるか、等の政治的な要素(消費税引き上げとか)により、
「田舎的な企業」が今のままで生き残れるかどうかは、解らない。
その「田舎から世界へ」的な変化が先に訪れた、シャープやソニー、
タレントの千秋さんのお父さんが元偉い人だった、日本板硝子(数年前にピルキントン買収)、
これらの企業が、いずれも経営が上手く行っていないように見える事から判断すると、
日本語という言葉・及び日本人の文化の特殊性、ガラパゴス度は、相当なもんだと思う。
今のアメリカで、「日系アメリカ人」で、あまり大活躍している人が思い浮かばない事から想像しても、
多分、
「日本語を捨て、言葉をグローバル化しようとすると、
日本人はGDP世界3位の実力は到底保てない」と思う。
つまり、日本語を捨てれば、日本人はグローバルの競争で圧倒的な敗者になるだろう。
だとすると、やっぱり我々日本人の子孫を幸せにするための答えは、
①日本人がたくさん子供を産むようにする(出生率を上げる)か、
②移民を受け入れ、相当のコストをかけて、移民の人に日本語を母国語にしてもらえるくらいまで、
質・量両面、最大限の教育を行う
このどっちかしかないと思う。
今の政治みたいに、ごちゃごちゃ不毛な事やってると、
日本は泥船になり、そのまま沈んでいってしまうだろう。
俺の力はささやかだが、まずは、日本人の一人でも多くの人と、この危機感を共有したい。
でも、基本的には、今生きている人の幸せが一番大切だ。
息子や孫、曾孫たちには申し訳ないが、俺達現役世代が、
「今を楽しむキリギリス」を選ぶなら、それはそれで仕方ない。
その場合、我が子孫たちには自分の頭で、自分の力で、幸せになる道を切り開いって欲しいと思う。
これ以上考えるのは、息子や孫に対しての「過保護」だろう。多分。
「子孫に美田を残すな」
「馬に水飲み場まで連れて行ってやる事はできても、飲むのは馬だ」
「教えるのは、狩りのやり方、サバイバルの仕方であって、
親が取った獲物を子供に渡し続けると、子供はバカになる」
・・・聞いた事がある言葉なのか、俺が今、適当に思いついた言葉なのか解らないが、
多分そういう事だ。
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