2016年11月21日月曜日

(135) 家庭内犯罪・虐待:救うべき人

虐待防止キャンペーンCM
私の住んでる、神奈川県ではこのCMがテレビで流され、印象に残っている。
 
政府広報でも取り扱っている。
 
これだけCM等で取り上げられていると言う事は、
日本中で、相当の件数、児童虐待と言う悲劇が、現実に起こっているんだろう。
 
「虐待を受けている子供を一刻も早く救わねばならない」
というメッセージについて、異論を唱えるつもりはない。
 
しかし、我が国日本は、最小構成単位が「家族」であるという前提で、
ありとあらゆる社会システムが作られているという事を考えた時、
虐待の直接の被害者である子供を助けると同時に、
その「親」を、経済的・精神的困窮から救う必要性を忘れてはならないと思う。
 
幼い子供にとって、どんな親であっても「理由なく愛してくれる」と
本能で考えるのが人間だと思う。
 
親の方が、「好き好んで」、或いは、「悪人だから」
子供を虐待する事は、あり得ない。
何らかの経済的、精神的な困窮を親が抱えているからこの悲劇が起こっているのであって、
その「親」を救う事も、極めて重要だと思う。
 
古き良き昭和の時代は、
「民生委員」
「おせっかいな近所のオジサン、オバサン」
「親戚」
など、誰か助けを求め、実際に救ってくれる人が見つかりやすかったんだと思うが、
核家族化が進んだ現代、多分、行き詰ってしまう若い親が相当数いる。
 
これを世間側が、「家族内の問題」という名分で、
問題を放置、見て見ぬ振りをして、最悪の悲劇に至ってしまった例が、
 
【(40) 親子心中(実例)】
や、
【(42) 光市母子殺害事件最高裁の死刑判決】
での、「被告が12歳だった時の、母親の自殺」だと思う。
 
あえて極論するが、日本の世間が、
「家族のウチの問題については口を出さない」
というルールで動いているのだとすれば、
「家族のウチの問題であるのに、虐待されている幼い子供だけを救う」
というのは、論理矛盾している。
欧米式の「個人を救う」という考え方だけが、いびつに入り込んでいる気がする。
 
「家族という構成単位が基本だが、家族が本当に困窮したら、
別の家族、或いは世間が助ける」という仕組みを、改善していく必要がある。
非常に重い問題だが、これも、家族間格差の是正という、
我々日本人が取り組み続けなければならない、テーマに入って来る。

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