前回の127のブログ投稿で、
「\500で牛丼を食べられる店で、バイト店員を罵倒する困ったオジサン」
について書いた。
おそらく、この悲しい現象は、日本の高度経済成長期に、
サービス向上を目指して日本人全員が頑張った努力の、悲しい習性が、
「残念な形で」残ってしまっているんじゃないかと思う。
海外との比較では、日本は、「お客様は神様です」という感覚が非常に強い。
(自分が実際に行った、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、中国、ニュージーランド、
少なくとも、これらの国との比較では全て当てはまる)
つまり、日本と言う国は、「金を払う客と言う立場」にいるなら、
住むには世界最高の快適な国だと思う。
ところが、これは裏返すと、
「サービス、物を提供する側で働く場合、顧客要求が極端に高い」
つまり、日本で「働いて」、「金をもらう」というのは、
おそらく、世界でトップクラスに気を使い、大変であるという事を意味する。
日本で現在進行形で働き、金を稼ぎ、その金でサービスを受けるなら、それは「フェア」だ。
しかし、高度経済成長期に稼いだ金をたんまり貯金して、それで日本人の若者に対して
金にモノを言わせて偉そうに言うのは、非常に腹立たしい。
しかも、国の借金を山ほど増やしている現状は、
先に死んでいく高齢者程「得」、若い人ほど「損」と言える(世代間格差)。
「困ったオジサン」が極めて問題なのは、以下の理由による。
日本の高度経済成長期、今の若者達がバイトで働いているような、
高度にシステム化された、
「500円で食べられる牛丼店、カツ丼店、天ぷら店」等は、今ほどなかったし、
「大勢のバイト、フリーターによる労働力を前提とした、コンビニ、小売店」等も、今ほどなかった。
高度経済成長期は、おそらく日本人全員が、「お客様は神様です」教を信じ、
日夜、「早い、安い、うまい」、「顧客満足度向上」を目指して頑張った。
高度経済成長期には、「サービス向上のため」、客が、
店員や店長に対して文句を言う事は、店のサービス向上に貢献した部分があり、
実際、その顧客の厳しい目があったから、これだけ日本のサービスは向上し、
世界でもトップクラスになった。
ところが・・・である。
もう、そのレベル向上は限界に近いところまで進んでしまい、
バイトの給与は、「高度に進化したマニュアル通りに働けばいい」
という事を前提とし、市場原理に基づいた限界の安さにまで行きついてしまっている。
困ったオジサンが、もし、定年退職し、自分は、現在進行形で
日本社会に対して労働力を供給していないにもかかわらず、
「\500牛丼店のバイトを叱責する」という行動を取っているのだとすれば、それはこの事を理解していない。
高度経済成長期なら必要な行動だったかもしれないが、今は、害悪以外の何物でもない。
もし万一、日本の顧客の多くが、
「困ったオジサン」化(クレーマーの多数発生)するような事があれば、
\500牛丼店側も対策を取らざるを得なくなる。
これは即ち、日本がこれまで積み上げてきた、
「高度なサービス」のレベル低下そのものであり、
従って、「困ったオジサン」の発生数は減らす必要がある。
そういや、俺が小学生くらいの頃(約25年前)、自分の実の父親も、
家族旅行で泊まったホテルのレストランのサービスが悪いと、
子供の目から見た時に、
「お父さん、そんなこと言わなくていいよ、いつものお父さんと違うよ」
と思うような剣幕で、店員に食ってかかった事があった。
多分、今の60代、70代の人にとってみれば、
「店員が客に心のこもったサービスをするのは当たり前」
という感覚なんだろう。
・・・そういう時代がこれからもずっと続けばいいと思うが、
グローバル化して、単純労働により近い、
店員さん達の給与が世界標準(例えば、時給\800以下)に近い現状を考えると、
多分、「マニュアル通りのサービス」で客側は満足し、
「マニュアル以上の心のこもったサービス」を、
客側が権利として求めるのは、無理がある時代だと思う。
(ここからは蛇足かもしれないが・・・)
一方で、未だに、
近所のコンビニのバイトの店員さん達の中には、
マニュアル以上に心のこもったサービス、笑顔を見せてくれる人も、
多数存在していると感じている。
多分、この「マニュアル以上」の部分が今現在も、残っている事が、
日本の強みの一つであり、その辺を理解したうえで、
「分別ある、ちょっとだけ困った、おせっかいな、オジサン」
みたいなオジサンに、俺は将来、なってみたいなと思う。
「お見合いオバさん」や、
「結婚相手を紹介したがる、おせっかいな親戚のオジサン、上司」
こういうお節介な人が全くいなくなるのも、寂しく、
日本と言う国の良さを維持すると言う観点で考えた時、
別の意味で問題がある気がする。
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