正直、驚いた。
"匿名ネット釣り師"の鬱陶しさに、数年前嫌になり、匿名ネットはもうダメだなと思っていたんだが、どうやらその発想を実名で仕掛けた人が出てきていたようだ。
数年前、The Start Upという名前のサイトで、クラウドワークスとランサーズの炎上騒ぎがあった事を知ったが、その炎上の中心人物は、実名で色々書いて、やまもといちろう砲を浴びたりしたらしい。
最近、Noteの有料課金の話を目にする事があるが、それでこの方の名前を知り、検索して過去の炎上騒ぎを知った。
で、タイトルの「高所平気症」をふと思い出した。
この方もそうだし、イケダハヤトさんもそうだと考えると、やっと腹に落ちた感覚がある。
多分だが、我々世代までは「日本の世間に対しての(健全な)恐怖感」が当たり前にある。だから、炎上しそうな内容を実名で情報発信しようなんてそもそも考えもしない。
ところが我々世代より後の若い人の中に、世間に対しての恐怖感を全く持たない人がいるらしい。
保育園充実だけを訴え続け、自分と異なる意見の人を徹底的に攻撃的に排除しようとしているように見える、駒崎さんにも同じような印象を持つ。
生まれた時から高層マンションで育っている幼い子は、高さに対しての恐怖感を一切持たない場合がある、みたいな話を聞いた事がある。
行きすぎた恐怖感を感じるのも問題だが、恐怖は人の感情の中で最も基本的で、自分の身体の安全を守るために不可欠のもの。
逆説的に(特に都市部での)世間の崩壊を象徴するような、エネルギーに満ち溢れた一部若い人の考え方の変化なのかもしれない。
やばい。世間は敵に回すと物凄く怖いもの、という思い込みがある私、全くついていけそうな気がしない。
私はそういう意味において「世間恐怖症」だが、その反対の「世間平気症」の人達。
高所から落ちると大怪我するし痛いのは、いくら安全対策を施しても変わらない真実なんだが、果たして日本人の世間はどうか。
もしかすると、彼らの方が正しくて、全く恐れるに足らない、ただの昭和世代の我々までの妄想だったのかもしれない。
世間は「家族」という言葉の補完語。
ただし、同時にこうも考える。
今の日本では「世間の崩壊」が核家族化と少子化と都市化による「家族の崩壊」と同時に進み続けているが、果たして日本人が欧米人的な個人主義に合わせられるのか?
日本語を捨てるなら話は別だが、多分日本語を使い続けるなら無理だと個人的には予想しているんだが、果たしてこれからどうなるのか。
老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。
もう41歳の私は老兵なのか?とか物思いに耽る三連休明けの通勤電車の中。
2 件のコメント:
自分自身の変化に驚くが、前は嫌悪感が先にあった、私よりも年下のイケハヤさんと駒崎さんに対して、「この人達は凄い」という、リスペクトする気持ちが非常に強い。
炎上を恐れない事、自分の信念に対してまっすぐで、進み続けるその行動力。
最近気になっているのは、電通の過労死報道の時にnewspicksでコメントした大学教授を燃え上がらせ、社会的に抹殺寸前まで追い込んだ西村総一郎氏。
私は幼い時から、ずっと空気を読み続けて生きてきた。その結果が、「世間研究家」と自称するような、世間という言葉への強い興味。
空気を読まずに猛進する私よりも年下の方達がとても気になるのは、恐らく自分がそっち方向に変わらないといけないと強く感じているからなんだろう。
漢字間違えた。西村創一朗氏。リクルートを離れ、エネルギッシュに活動を続けておられるようだ。30代を走り抜けた後、彼はどういう人材になるのか、興味深い。
私の場合は、20代と30代を周りや外部環境に合わせ過ぎてしまったのかも、という後悔に近い思いがある。
40代になり、自分が解らなくなる悩みにぶつかった根本原因は、その辺にありそうだから。
だが、もう時間は戻らない。「周りや外部環境に合わせつつ、客観視を心がけ続けてきた」というのが、自分らしさ。
問題は、『で、これから何がやりたいの?』という問題。この問いからは逃げられない。
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