2016年11月16日水曜日

(46) 養老孟司先生

俺が尊敬する人の中で、ブッダに次ぐ2番目の人、養老孟司先生。
何故、俺がこんなにこの先生に惹かれるのか、今日初めて解った。
 
 
 
以下、この、茂木健一郎さんのサイトからの引用。

連続ツイート 養老孟司

しゅりんくっ! シンガポールは雨だ、プレイリードッグ君、おはよう!
 
養老(1)人生で心から「師」と呼べる人は、それほどいるわけではないが、養老孟司さんは、そのうちの一人であると思う。
 
養老(2)1997年に『脳とクオリア』(日経サイエンス)を出版した時に、読売新聞の書評で養老孟司さんがとりあげて下さったことが、世に認知される重要なきっかけとなった。その後、対談した時に、「初めて会う気がしないね」と養老さんは言われた。
 
養老(3)私の危うさを見抜いたのだろう。「塀の上を歩きなさい、向こう側に落ちちゃだめだよ」と養老孟司さんは言われた。しかし、その養老さん自身が、心の中に刃をのんだ人だった
 
養老(4)私の大切な湯島のバー、ESTの渡辺さんによると、養老孟司さんが、ある時、店の外に出てなかなかかえってこない。先生、どうしましたと出てみると、養老さんが前の道の真ん中に大の字に寝転がって、「マスター、ごらん、空の星がきれいだよ」と言ったという
 
養老(5)私は子どもの頃蝶を採っていた。蝶は、どこを飛んでいるかわかる。一方、養老さんのやる甲虫類、とくにゾウムシは、葉っぱを叩いて一網打尽に持ち帰り、あとで一つひとつ調べるしかない。「この世には魑魅魍魎がいる」という養老さんの世界観の由来が、そこにあるかもしれない。
 
養老(6)ある時、養老孟司さんは、しみじみと、「本当は(留学先の)オーストラリアの方が住みやすかったんだけどね」と言われた。それで、『バカの壁』をはじめとする著作が、養老さんにとって住みにくい日本を理解しようという懸命の努力であると目を啓かされた
 
養老(7)養老孟司さんは、覚悟の人である。『唯脳論』の中で、江戸時代に日本の近代医学がどのような経緯でできたか、それを記した文章に肝がひんやりとするような覚悟を感じた。
 
養老(8)養老孟司さんは、しばしば、「東大教授は名刺の真ん中に大きく東京大学教授と書いて、肩書きのところに小さく自分の名前を書けばよい」と冗談で言われる。その養老さんが定年前に東大を辞めた翌日、見上げた空は青かった。
 
養老(9)とても書ききれるものではない。師とは、自分に何を与えてくれるのか、その全貌がわからないままに、とにかく慕われる人のことなのだろう。養老孟司さんは、私にとっての大切な「師」である。
 
以上、養老孟司さんについての連続ツイートでした。
(引用終わり)

1 件のコメント:

世間研究家 さんのコメント...

約2年程度続いた鬱から、やっと抜けたかもしれない。最も尊敬するのはブッダ、二番目が養老先生、三番目が米原万理さん、四番目が蜷川幸雄さん、五番目が・・・