2016年11月30日水曜日

(380) 「解りやすく教える事」のデフレ化

(284)森田真生さん
の続き。
 
「研究教授と教育教授を分けた方がいいという趣旨の事を、堀場雅夫さんがおっしゃっており、日経に出ていた。」とこの記事で書いた。
 
『教育教授』、つまりは、「既に誰かが発見し、定理・公式化されている知識を、まだ知らない人に解りやすく、かつ興味を持ってもらえるように効率的に教える」という事が、もしかして今、もう後戻りができないほど、(お金を稼ぐという観点に於いて)デフレ化してしまったのでは、そんな事を考えた。
 
例えば、「因数分解」、「微分積分」を例にする。
 
20年前、私がまだ大学生だった頃、バイトで、塾の個別指導の先生をしていた。もう時効だと思うので明かしてしまうが、当時のバイト代は時給で1500円くらいだったと思う。授業が始まる前に、ある程度教える内容の予習や、生徒の事を理解しておく時間が必要だったので、労働時間としてカウントされる授業時間以外も働く必要があったが、当時は肉体労働系のバイト(交通誘導や、引っ越し手伝い)よりも時給は良かった。家庭教師のバイトも何回かさせてもらった事がある。そちらは2500円~3500円くらいの時給だった気がする。
 
その頃の事を思い出すと、一応塾の教科書には「因数分解」や「微分積分」の説明は書いてあったし、演習問題もあったが、生徒に対して「解りやすく」教える手助けをする役割は、結構重要だった気がする。教科書だけで因数分解や微分積分が理解できる子の比率は、それほど高くなかったと思う。
 
飲みこみが早い子は、そもそも先生の手助けがなくても理解してしまう。でも、両親がお金を払って塾に来てくれる子供は、「どこが解らないかが解らない」とか、「何が面白いのか解らないから、やる気になれない」みたいな状態であるケースが多く、その状況を改善するために、例えば、算数・数学とは別の話をしつつ、「さて、先生も怒られちゃうから、本題の勉強しよっか(笑)」とか、あえて5分間、先生の私は横で沈黙して、さりげなくプレッシャーをかけつつ、生徒にじーっと考えてもらい、そのあと、「どんな事考えた?」と聞いて、そこから話を始めて見たり、とか、いろんなやり方で、塾に来る価値があったと思ってもらえるよう、工夫していた記憶がある。
 
当時は、少なくとも、インターネットは競争相手じゃなかった。
 
しかし・・・である。
 
今、「因数分解」、あるいは、「わかりやすい 因数分解」、あるいは「サルでもわかる 因数分解」
(微分積分も同様。)
これらの検索ワードでちょっとググっただけで、図やマンガ、塾の先生の動画などなど、ありとあらゆる記事が出てくる。これらは無料で見れてしまう。
 
個別指導の先生に教えてもらうまでもなく、もうネットだけで十分になってしまっているのかもしれない。
 
Wikipediaなんかも、日を追うごとに、内容はどんどん専門家の人達の校正を繰り返しながら、驚くほど細かい内容まで書かれていたりする。
 
昔は、百科事典とか、地図帳とか、辞書とか、分厚くて高いものを買ったりしたし、百科事典がCD化されたりした事もあったと思うけど、今は、全て無料のネット情報だけで99%以上、事足りてしまっている気がする。もう、既に見つかった知識の(金銭的)価値は、急速に下がり続けるのが当然の世界なんだろう。
 
「Google先生」という言葉があるが、Google先生だけじゃなく、Wikipedia先生なんかも、常により良い状態に形を変え続けながら、「初めて覚えようとする人に、さらに解りやすい情報を提供する」という事を、基本的には無料でやり続けてくれているのでは?・・・そんな気もする。
 
将棋の世界で、コンピュータが名人と対戦して、ほぼ互角か、コンピュータが強い、なんていうニュースをたまに見るが、「Google先生」「Wikipedia先生」を相手にして、勝ち続けられるような「教育教授」はいるんだろうか?仮に一時的に人間の方が勝ったとしても、それはすぐにコピペされてGoogle先生の世界に取り込まれてしまうから、金を稼ぐ(それで生活する)のが極めて難しい時代なのかもしれない。
 
じゃ、冒頭に書いた、「研究教授」の世界はどうなのかと想像しようとしたが、STAP細胞の件をちょっとイメージしただけで、「考えるだけ野暮だな・・・」と思ってしまった。
 
私が大学生だった1990年代末は、まだ理系(理学部・工学部)の大学生は、大学院に進む方が普通の時代だった。当時頭がいい人達は、大学院の後、博士になり、アカデミックの世界を華々しく進んでいくように見えた。私は、遊び過ぎて大学院試を受ける気力がなかったのと、思う存分遊ばせてもらったから、もう親から仕送りもらって独り暮らしするのは止めようと思ったので、学部で卒業して就職したが、結果としては、(特に経済的には)どっちが得だったのか、良く解らない。
 
ポスドク問題とか、良く聞くけど、「研究教授」を目指して全力で頑張ったけど、不運にも思い通りにいかなかった30代、40代の人は数えきれないほど今の日本にいるだろう。
 
・・・STAP細胞の論文のコピペを次から次へと見破った頭脳(その後は早稲田の論文?)、すごい力を持っている匿名の人達が大勢いるもんだと思うが、もしその人達が、研究教授を目指したけど思い通りにいかなかった人達と相当数重なっているとしたら、Google先生やWikipedia先生は、本当にすごいんだけど、とっても罪作りだ。
 
そんな事を考えた。

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