2016年11月25日金曜日

(300) 脳 ; input-think-outputのサイクル

2013/2/5加筆
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このブログ記事も300件目になった。
 
300件書いて再認識したのは、自分自身の理屈っぽさをそのまま出すと、私について来てくれる人がほとんどいなくなってしまう事。それはリアルの生活でもこれまでもそうだったし、これからもそうだろう。
 
過去を振り返れば、中学校くらいの時には既に、私は父親や母親から、「またタケシの理屈が始まった」(注:タケシは仮名)と言われて、両親が私の喋りを止めるのがお決まりのパターンだったかも。よく私と話してくれる両親だったし、祖父母も、(私がたった一人の孫だったから)私と話す時間をたっぷり取ってくれた。その事に深く感謝している。
 
しかしながら、それによって思考回路が大人に合ってしまっていたから、子供の時から考え方が「ジジ臭かった」んだろう。しかも、引越しが多くて、身近には『女の子』という存在がいないまま、25歳まで育ってしまったので、極端な理論・理屈好きになってしまった可能性が高い。
 
だから、仕事でも、家庭でも、自分の理屈っぽさをフルに発揮する場所がなかった。理屈っぽさを表に出さない事自体は、別にそれほど苦ではなかったが、この匿名ブログやFacebookは、そういう自分が表に出したかった事を自由に出せる、素の自分になっても許される場所であり、とってもありがたい。

別に金をもらってる訳でもないので、独り言を自由に書いていい。これからもそうしようと思う。さすがに、YahooさんやFacebookさんから、「あなたは喋りすぎです。これ以上書かないでください」とは言われないだろう。
 
さて、本題。
 
以前、とある人から、人生を楽しく生きるには、脳に対して、
Input
Think
Output
このサイクルを上手に回す事だ、と聞いて、感動した事がある。
 
Input : 読書、マンガ、ゲーム、受験勉強、新聞、雑誌、インターネット etc
Think : 沈思黙考、睡眠中に脳は勝手に考える。「馬上、枕上、厠上」は昔の人の名言だ。
Output : 喋る、書く、描く、歌う、演奏する、作る、創る、運動する、etc
 
 
女性は、一般的に「考えながら喋る」事ができる能力が高い。つまり、ThinkとOutputを同時にできる。
一方で、男性は、ThinkとOutputを同時に行うのが苦手。
 
男女のコミュニケーションをすると良く解るが、女性は「考えながら喋る」のに、男性は「考えてから喋る」ので、お互いがその事を理解しないと、上手にコミュニケーションができない。
(参考コラム)
 
昔と比べて、脳からの目線に立つと、現代は「Input」情報が多すぎる。ここ10年のネットやIT技術の発達で、その傾向はさらに顕著になった。スマホ、電子メール、電車の広告、エスカレーターの手すりの広告・・・
現代人の多くの脳が、『Input過多症候群』に陥っていると思う。
 
つまり、このような状況下では、、ThinkやOutputの時間を意図的に確保してやらないと、脳が苦しむ
 
前頭前野を鍛える
この記事は面白いと思うが、違和感を感じる部分がある。
 
「コンピュータやゲームをしている時は前頭前野が働かない」
とあるが、これは、「コンピュータやゲームが悪者に違いない」という思い込みだと思う。
おそらく、前頭前野が活性化するのは『Output』している時であり、そう言う意味では多分、読書や(詰め込み式の)受験勉強をしている時も、前頭前野はあまり活動していないと思う。
 
自分の息子達を観察していると明らかだが、
子供は、『勝手に自分の脳を成長させるために最適な手段を見つける』
それは、アラフォーのオッサンである自分だってそうだ。
 
ゲームやマンガ等のinput自体が問題なのではなくて、inputに偏り過ぎてしまい、think、outputの部分の時間をきちんと取らない事が問題。
 
睡眠時間を削ってinputを増やすのは、中長期的には脳に多分良くないと思う。私は(別に自分が頭良いと言うつもりは毛頭ないが)、小学校や中学校、高校、大学、社会人までいわゆる「ゲーマー」であり、マンガも一般人平均よりも圧倒的に多く読んだと思う。でも、受験勉強もしっかりやった。運動もそれなりにやった。ThinkやOutputは、両親や祖父母のおかげで、何の不満もなくやらせてもらえた。『一夜漬け』が嫌いで、睡眠は長めに取るタイプ。
 
 
ゲームのやり過ぎで、ゲーム脳になってしまっていて、人間性に問題がある人格になっていないと、私には断言はできないが、とりあえず私にはもったいない奥さんと結婚でき、息子2人にも恵まれている。仕事でも国内外の素晴らしい同僚に恵まれているし、Facebookでは素晴らしい友達が大勢いる。現時点では、少なくとも私に限って言えば、ゲームや漫画は私を『ど近眼』にしてしまった事以外、何ら悪さをしていないと思う。
 
Inputが身の回りに溢れすぎている現代人、大切なのは、
どうやって脳へのInputを制御して、ThinkやOutputに上手に時間をかけて、上述のInput-Think-Outputのサイクルを回し続けるかだと思う。
 
子育て、子供の教育もそうだと思う。子供の脳の立場になった時、これが円滑に回っているかどうか。
 
現代の日本、特に都市は、子供のOutputを制限し過ぎている。『怪我すると危ない』『周囲に迷惑かけるから、あれもダメ、これもダメ』というのは、大人のエゴ以外の何物でもない。
 
子供を自然豊かな場所に連れてってやれば、子供は目が輝き、好奇心によって大人が想像もつかないような脳からのOutputをたくさん出す。自然は子供の脳へのInputを返してくれる。時々失敗したりしながら、『Thinkしなきゃダメだ。怪我する』と子供自身が学習したりもする。
 
とことん自然の中で遊んで、クタクタに疲れた子供は、ぐっすり寝て、寝ている間に脳は勝手にThinkする。そして、子供の脳はどんどん成長する。
 
日本人の大人の使命は、子供達がこうやって、スクスク育てる環境を作ってやり、それを(時にヒヤヒヤしながら)見守る事だと思う。『過保護』はいいんだが、『過干渉』はいけない。今の日本人の大人がやっている事は、子供達への『過干渉』だ。
 
ブッダが生きた時代に比べて、Inputは膨大な量がある。それは技術・文明が発展した以上、仕方ない。同時に、上述のサイクルを上手に回せれば、絶対にブッダよりも(同年齢の時点で)頭が良くなる事ができる可能性があるはず(脳として)。
 
サッカーで例えるなら、ペレや釜本さんの全盛期と、今のプロの普通の選手とをビデオで比べれば、もしかすると今のプロの普通レベルの選手の方が上手かもしれない。でも、もしペレや釜本さんが今の若手現役選手で、現代式トレーニングを受け、戦術を学んでいれば、現代でも大活躍しているだろう。
 
ブッダはペレや釜本さんみたいな存在だと思う。偉大だが、畏れ敬い過ぎるのではなくて、先生・師として尊敬し、当時だけでなく今にも通用する考え方・気持ちの持ち方を真似させてもらう対象じゃないかと思う。その意味で、後世の人がつけた尾ひれ(生まれてすぐ『天上天下唯我独尊』とおっしゃったとか)は、参考程度に留めておく必要がある。釈尊は、『自分と同じ人間』だと認識する事がまず第一歩だと思う。そうしないと、釈尊が現代に伝えてくれている瞑想法や実践論を、同じ目線で見る事ができないから。
 
サッカーは時代を経るに従って、間違いなくレベルが上がっている。
 
しかし、ブッダ(釈尊)が身を挺して現代に残してくれた、人間が幸せに生きるための、心に関しての研究は、時代を経るに従って手垢がついてしまい、むしろ劣化している。エッセンス・根底は同じはずだが、いろんな宗派やそれを伝えて来てくれた人達の解釈・情報が入り過ぎてしまい、初めて見る人には難解過ぎて訳が解らない状態になってしまっている。まずは原点に戻った方がいい。小学生や幼稚園児に、XやYなどを使った方程式では説明できないように、まずは九九やひらがな・片仮名を教えてあげるように、『解りやすく』教えるには、シンプルにする必要がある。現時点では、テーラワーダ仏教の『慈悲の瞑想』と『ヴィパッサナー瞑想』の2つが、一番上手な教え方のような気がする。もちろん、それよりももっと上手な教え方を探す努力は必要だろうが。
 
多分、こういう原点に戻る時、養老先生の唯脳論(バカの壁)と似たような話が出て来ると思う。養老先生とお坊さんの対談の本もそうだが、最近、脳科学者と宗教家の対談の本が多い気がするが、要は、(養老先生の唯脳論の中の言葉を借りれば)『脳』という器官を研究する人が脳科学者で、『心』という脳の機能を研究している人が宗教家や哲学者。両者が話すのは必然なんだろう。
 
・・・超理屈っぽい、私の独り言終わり。300件目と言う記念すべき回なので、あえて思考を暴走させてみました。
 
読んでいただいている方、難解な文章にお付き合いいただき、いつもありがとうございます<(_ _)>

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