2016年11月25日金曜日

(275) 世間の特徴(阿部謹也先生)

自分自身の、復習とおさらい、頭の整理を兼ねて。
 
(故)阿部謹也先生は、世間の特徴(掟;おきて)として、以下の3つを上げられている。
 
①長幼の序
②贈与・互酬
③共通の時間意識
 
私は、これこそが、日本人の特徴そのものであり、ある意味「宗教・哲学」にも関わっていると考えている。
 
順に、身近に見受けられる、それぞれの具体例を上げてみる。
 
①長幼の序
年功序列、先輩・後輩間の敬語、敬老の精神
(儒教から来ていると思う)
 
②贈与・互酬
要するに「お互い様」。やってもらったら、お返ししなければいけないという義務感みたいな感覚。
お歳暮、お中元、年賀状(もらったら返すのが礼儀)
結婚式のお祝い金、葬式の香典(金額の半分相当を、「引き出物」「香典返し」のような形でお返しする)
Facebookでいいね!を押してもらったら、こっちもいいね!を押した方がいいよな、みたいな感覚。
 
③共通の時間意識
「いつもお世話になっております」という、英訳不可能な日本語の挨拶。
朝会、開会式、入社式、入学式、卒業式、暑中お見舞い・・・
今、お互いに同じ時間を共有していると確認する儀式や風習。
 
 
これら①~③は、実は(日本関係なく)一般的には「家族」に当たり前に備わっている特徴。
 
長幼の序 : 親は子よりも偉い、兄は弟よりも偉い、姉は妹よりも偉い、
  家族内では、年齢が若いものが年長者を敬う方が精神的に安定する。
 
贈与・互酬 : 親子関係、兄弟、叔父と甥や姪の関係もそうだが、一方が一方に依存する関係は長続きしない。
  老人になった親を、子供が世話をする形になるのは当然の姿。
 
共通の時間意識 : 家族内で誕生日をお祝いするのが嬉しいのも、家族で初詣、お墓参りなどの行事をするのも、家族の構成員が、皆共通の時間を過ごしている事を再認識して自分が一人ではなく、支え支えられおり、愛し愛されているという安心感を確認していると捉える事も出来る。
 
 
多くの日本人の場合は、おそらくこの「家族」という枠を、もう少し広げ、『家族的な集団』にも適用しようとしている。「アットホームな」会社、学校のクラス、部活動、それぞれ、「家族的な」仲間を作ろうとする。でも、人によって相性があったり、集団生活が苦手だったり、逆に(小中学校の女子のように)「仲良しグループ」を作ろうとする人がいたりする。
 
そこで出て来るのが、「排他性」と「同調圧力」
 
「身内(みうち)」と外を明確に分けようとする傾向が強いので、例えば小中学校の女子の「仲良しグループ」なら、「仲良しグループ」に入らない子を除け者にしようとしたり、いじめの芽が出たりする。その構造は、基本的には大人も同じ。大企業とかなら、「うちの会社は・・・」という人が山ほどいるが、それはまさに、「うちの会社」を自分の家族だと捉え、「うちの会社じゃない人」を他人として捉えている。この場合、「いじめ」は「うちの会社」の中で起こる。何故かと言うと、会社を辞めた人は「他人」だから。この場合、社内で生じる力学が「同調圧力」であり、社外に生じるのが「排他性」
 
「ムラ社会」という言葉は、外の人から見た時に、この「排他性」と「同調圧力」が、まさに「ムラ社会」に重なって見えるからだと思う。
 
 
これまでの記事で書いたとおり、日本人の「家族意識」は、日本語にインストールされている。苗字を呼び合う習慣然り、「おとうさん」「おかあさん」「課長」「部長」など、first nameではなく、役割で呼び合う習慣然り。
 
従って、家族意識は、多分日本語が絶滅するまで完全には無くならないと予想する。という事は、日本人が「家族的な拠り所」に常に頼り続ける特徴も、これからも残って行く可能性が高いと思う。それこそが日本人の宗教なのかもしれない。
 
近年、日本人でも英語を使える人が増えているし、海外留学や、海外在住経験のある日本人も増えており、欧米の「個人主義」(「利己主義」ではない)の傾向が強い人も増えているが、当面の間、大勢を占めるのは家族意識が強い日本人だろう。
 
この特徴が解ると、何故「鳥の目」で考え、行動する人を増やす必要があるかが見えて来る気がする。昨今の政治のどうしようもない状況(先送り、上げ足の取り合い、何も決まらない)等、日本中あちこちで起こっている組織の問題の根本原因は、上述した日本人の「世間」、そのものだと、私は考えている。

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