2016年11月21日月曜日

(126) 幽霊、ゾンビ、キョンシー

【(119) 2009年8月12日の日記(お葬式)】の続き。
 
大昔から、おそらく、人は「死」への恐怖を感じ続けてきた。
それは洋の東西、国を問わず、皆同じはずだ。
 
その、人間の「死への恐怖」が発生由来と思われる、
「お化け」について比較すると興味深い。
 
日本で「お化け」と言うと、
「うらめしや~、化けて出てやる」
というイメージだ。
百鬼夜行や、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪もお化けの一種だろうが、
「人を呪い殺す」、「祟り(タタリ)」というのと、微妙にずれている印象だ。
 
「うらめしや~」と言う場合、
私の場合、
「人魂(ひとだま)」や、
「枕元におじいちゃんの霊が立っていた」
「心霊写真で、人と人との間に、あるはずのない顔や手が写っていた」
などをイメージする。
 
これらの日本で典型的な「お化け」の特徴は、
「体がない」「実体がない」「重量感がない」
つまり、「魂(タマシイ)」のように、質量ゼロである事だ。
 
一方で、ホラー映画で良く出て来る、「ゾンビ」や、
昔見た中国(香港?)映画に出てきた「キョンシー」
これらはいずれも、本来動くはずがない「死体」が不気味に動くと言う事で、
人が恐怖を感じる。
日本の「お化け」に対して、これらの特徴は、
「実体がある」「重量感がある」と言える。
 
上記119のブログ投稿で記載したように、
「日本の宗教では、死んだ後も、その人の心・魂は、ずっと地上に留まると考えられている」
という特徴と、
アメリカのキリスト教のお葬式で、
「お葬式の時に、天国に旅立ち、もう、魂は天国にある」と考えるという特徴と対比した時、
興味深い。
 
心とは何なのか?
自分の体との関係は?
死んだら自分と言う存在はどうなるのか?
愛する家族が死んだ後、その人はどこに行って、どこにいるのか?
これらの問いに対する答えが、多分、信じる哲学・宗教によって異なり、
国によって異なるんだろうと思う。
 
これと(多分)関連する話で、「死体」に対しての取り扱い方、
考え方も日本と欧米、宗教によって、大きな違いがあると思われる。
 
- 今現在も、東日本大震災で行方不明となっている方の捜索が継続している。
- 津波の被害に合われた家族の遺体が見つかった時、
 「ご遺体が見つかって良かった」という感情になったとお聞きしている。
*地震・津波の被害に遭われた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
- ニュージーランドでの地震のビルの倒壊時、ニュージーランドの捜索隊は、
 生存が絶望と判断した時点で、遺体の捜索を打ち切った。
- 最近起こった、アフガニスタンでの米兵の虐殺事件に於いて、
 米兵が遺体を燃やした事に対して、(死体を傷つける事を信仰上問題視するイスラム教の方々は)
 米国・米軍に対しての怒りが頂点に達している。
 
これらは、おそらく、我々自身がどういう死に対しての哲学を信仰しているか、
キリスト教や、イスラム教の方々は、死に対して、どういう考えを持っているかを理解しなければ、
理解できないし、血で血を洗うような戦争がなくならないと思う。
 
「靖国で会おう」と言って、特攻隊で若い命を散らされた我々のご先祖様、
戦犯とされる方々とともに、その霊を祀っている靖国神社への参拝問題、
中国の考え方では、「死んだ後も犯罪者は犯罪者」
日本の考え方では、「死んだらお終い。どんな悪人も善人も死んだら皆同じ」
 
これらの問題も、
日本が戦争の加害者として相手国民を殺害したという歴史的事実は認めた上で、
「我々は死に対してこういう哲学を持っている。だから、私達は靖国を参拝している」
という説明をできるくらいまで自分達自身の事を理解し、かつ、
「貴国では、死に対してこういう哲学を持たれているんだろうと思う。
だから、我々のこの行動が理解しがたい事も解る」
という説明もできる状態まで、相手の文化を理解し、
その上で、
「しかし、我々は、この哲学は譲る事ができないので、参拝という行動を取る」
と毅然として答える。
 
多分、ここまで、自分達と相手に対しての哲学・宗教に関しての理解を深めないと、
多分、本当の意味での「グローバル化」と言えない。
この場合、「内政干渉」という言葉は、単なる「説明する・理解する」という努力から逃げるという、
「逆切れ」でしかないと思う。
 
「水に流す」
「忘れる」
というのは、日本だけでなく、万国共通の現象だと思うが、
一般的に、時間軸を考えた時、
「加害者」の方が「忘れる」「水に流す」という言葉を頭に思い浮かべる時、
「被害者」の側は、未だ「根に持つ」「辛い記憶が蘇る」
という状態にある事が多い。
 
その状態の時、「加害者」の側が、「忘れてくれ」「水に流してくれ」という趣旨の提案を
「被害者」側にすると、「火に油を注ぐ」或いは、「やぶへび」状態になり、
怒りの感情が巻き起こり、争いが生じる。
 
残念ながら、
終戦から67年を経過した今も、近隣諸国との間で、
「日本の加害者としての戦争責任」「従軍慰安婦問題」「靖国神社参拝問題」
これらの問題が解決できていないと言う事は、我々日本人は、
この失敗を、ずっと繰り返してきているんだろうと思う。
 
これらは、明らかに、負の遺産であり、
できるだけ早く、現役世代の我々が責任を持って、
自ら努力し、私達の世代で問題解決の方向に進める必要があると思う。
 
中国や韓国の人に対して、差別的な発言をする人は、
この観点で考えた時、明らかに日本の国益を損なう行動を取っている。
また、一人の人間としても、心から情けないと感じる。
 
先ほど、そういう趣旨で、このブログのコメント欄に投稿があったので、即削除した。
投稿したであろう人について、思い当たる人がいるが、その人の事を、心底見損なった。
もう、私の方からは、絶対に関わらない。

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