2016年11月21日月曜日

(119) 2009年8月12日の日記(お葬式)

2009年8月12日の自分の日記より
自分が書いた事を忘れていた。
3年前、自分自身がこんな事を考えていたという事が面白い。
枝葉は時間の経過による脳の変化によって変わっているが、興味あるものは、
案外変わらないもんなんだなあ(しみじみ)・・・
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お葬式という儀式について。
 
アメリカのお葬式について、興味深いブログを発見。
牧師さんは、お葬式で、「Let's celebrate」と言う事が結構あるらしい。
いつか、天国でまた会える事が約束されている、一時的な天国への旅立ちを、皆で祝おう、
そういう儀式らしい。
日本と違い、かの国では、歌が歌われ、派手な服を着て、パーティーが催される。
日本人の中にも、このやり方に共感する人が大勢いる感じがする。
 
その一方、アメリカのお墓は非常にシンプル。
土葬して、一人一つの墓石を上に置く。
広い草っぱららしい。
 
そして、「お墓参り」という文化は存在しない。
なぜなら、お葬式の時に、天国に旅立ち、もう、魂は天国にあるから。
ここに、アメリカ人の能天気さ、自己主張の強さの秘密があるような気がする。
その一方、同時に弱さも見える。
上司に言われて、特攻する”Kamikaze”。
彼らにとっては、多分心底理解不能だったと思う。
同時に、近年イスラムで引き起こされる”自爆テロ”、これも理解不能に違いない。
理解不能で怖いと言うところから、原子爆弾を落として、
相手を全て壊す、という発想が出てきているのかもしれない。
 
これに対して、日本のお葬式は、とにかく悲しむ。
悲しむ事が義務化されているのでは、と思いたくなるくらい、悲しむ。
通夜、本葬、火葬、納骨、喪服、お経、線香、
赤や黄色なんて色がどこにも出てこない。
”祝”なんて言葉を忘れなければならないと思いたくなるくらい、
とにかく暗い。徹底的に暗い。
 
おまけに、そこで徹底的に悲しんだ後も、
初7日、49日、1周忌、初盆、お墓参り、など、さらに悲しみ続ける。
なんじゃ、この違いは?と思って、ふと合点が行った。
キリスト教は、「天国に召される」ので、死んじゃったら、魂は天国。地上には存在しない。
しかし、日本(仏教?儒教?自然宗教?)では、死んだ人が毎年「お盆に戻ってくる」
お盆は、足を引っ張られるから、海で泳いではいけない、と昔から教わったくらい。
 
つまり、日本の宗教では、死んだ後も、その人の心は、ずっと地上に留まると考えられている。
体感上、お墓参りは、実は、全然暗くない。むしろ、死んじゃった大切な人を悲しむと同時に、
その人に自分が愛された思い出を思い出すという、生きている人にとっては大切な、ある意味幸せな時間。
「悲しむ」事を強制されるのは、実は親族ではなく、葬式に参列する世間の人だ。
親族は、葬式の「空気」に合わせて、悲しんでいる。
実は、本音の部分は、必ずしも悲しみではない気持も持っているのではないか?
 
特に、死ぬ前の介護などで、葬式の儀式の前に、
既に悲しんで涙が枯れ果てたという親族も大勢いるだろう。
自分の祖父、妻の祖母、伯父、その葬式を思い出すと、
むしろ、一番身近な親族は、涙が枯れ果てたケースの方が実態は多いのでは、という気もする。
 
キリスト教は、お葬式で牧師さんが「Let's celebrate」と言うのに対して、
日本では、お墓参りを毎年する。
この違いは、文化の根本に繋がっている気がする。
 
コブクロの「永遠にともに」という歌を、お葬式で歌う事を想像して、涙がぽろぽろ出ることに驚いた。
(コブクロ「永遠にともに」の歌詞は以下のサイト)
世間一般では、結婚式で歌われる歌なので、あまり大きな声では言えない。
また、結婚式でこの歌を使った人から見れば、
「葬式でこの歌を使うんじゃねー、バカヤロー」と言われてしまうだろうが、体感的には事実。
 
シックスセンス(ブルースウィリス主演)で、最後の場面で、
結婚式のビデオが流れていたのと何故か重なる。
キリスト教圏で作られたシックスセンスが、この表現をしたという事は、
おそらく、宗教関係なく、人間共通の感覚なんだろう。
より一般化すると、人を深く、長く愛し続けると、その人との間で、生と死の境目があいまいになる。
 
つまり、夫婦なら、「一体化」し、「似たもの夫婦」になる。
これは、心理学で言うところの、共依存そのものだと思うが、
親子の共依存、家庭内暴力発生時の共依存が問題視される事はあっても、
夫婦の共依存はむしろ、「おしどり夫婦」と言って羨ましがられる。
 
おしどり夫婦の片方が、崩れた時、傍から見るとすごく辛い時がある。
しかし、涙が出て、それが感動を呼ぶのは、
そうなったらそうなったで仕方ない、「畳の上で死にたい」という言葉が日本で許されているのは、
夫婦契約というのは、そこまでお互いを深く愛しあうという契約、むしろそれを奨励されるという、
日本の昔からの文化・習慣だ。
 
都会人の中には、「結婚に失敗したら、また別れればいい」(勝間和代さん)に象徴されるように、
夫婦であっても、そこまでの共依存をしない方が合理的と考える人もいる。
俺自身を考えても、もし自分がボケちゃった時の事を考えると、
妻にはその考え方を薦めたい気がする半面、いやいや、それは夫婦で支えあってるんだから、
俺は、万一妻がボケても介護するよ、最低半年は。(それ以降は解らないけど・・・)と言いたくなる気がする。
 
母親と父親にもコブクロの「永遠にともに」の歌を教えて、
「不謹慎だけど、通夜の時にでも聞きたくなりそうな歌じゃない?」と聞いたら、
どういう反応を示すか調べてみたいと思うが、
おそらく、同じ反応を示すんじゃなかろうか。
 
つまり、日本人は、「死んだ人も永遠に(自分と)ともに」という事が、腹に落ちる。
死んだら天国に召されるというキリスト教を信じる人には、
この感覚は絶対に理解できない。
なぜなら、理解してしまえば、キリスト教の根底が揺らぐから。
逆に、日本の宗教哲学で育った自分には、おそらく、
今後もキリスト教への本当の意味での改宗は困難だろう。
一度そう思ってしまえば、この根底部分を覆すのは容易ではない。
ある意味、死への向き合い方というのは、自分の自我そのものだから。
 
「何故、『おくりびと』があんなにアメリカ人に受けたのか(アカデミー賞を取れたのか)?」
という質問を思い出した。
俺は、「受けたという報道がされているのは日本だけ。おくりびとはオスカーと言っても外国語映画賞であって、
一番のグランプリは、みのもんたオリジナルの、ファイナルアンサーを元にした、
インドの英語で作られた映画」と答えた。
 
この答えは、ある意味正しいが、こういう答え方もできたかもしれない。
「ごく一部の、インテリ層(映画人など)に、『おくりびと』の良さ、
つまり、死に対しての自分たちの文化とは違う考え方に出会えた事に
感動を覚えた人がいたのかもしれない。」
「しかし、キリスト教を本心から信じている人にとって、
『おくりびと』を深い意味で理解できる人がどの程度いるかは、非常に疑問」
「なぜなら、もっくんが受け取り、渡した、「石」が象徴するように、
『日本では魂、思いが受け継がれていく』という考え方をするが、
キリスト教では、『死んだら、誰も神に召される』ので、地上には何も残らないという考え方をする。」
 
この死生観の違いを『おくりびと』が提起したという意味を感じた人が多いとすれば、
外国語映画賞とは言え、オスカーを取った意味は大きいとは思うが、
日本語で話された映画が、英語字幕、もしくは英語吹き替えで、
どの程度英語圏の人の心に響くかは、
なんちゃって日英通訳をやっている自分から見ると、そう簡単な事ではないと思う。
おそらく、『おくりびと』の深い内容まで踏み込んで理解できる欧米人、
特に年寄り以外のアメリカ人には、極めて少ないのではないかと思う。
 
1999年、『シックスセンス』は、世界中で非常に高い評価を得た。
そして、当然、オスカーにもノミネートされた。
作品賞、監督賞、脚本賞、助演男優賞、助演女優賞の5つにノミネート。
もちろん英語なので、外国語映画賞ではない。
 
ところが、結果としては、『シックスセンス』は、どの賞も受賞できなかった。
この事実は、非常に興味深い。おくりびとが、2008年の外国語映画賞を受賞した事と対比して考えると特に。
おそらく、意識、無意識はともかく、ハリウッドの映画人(もちろん、主力はキリスト教徒)の中で、
映画が述べているメッセージに対しての抵抗があったんじゃないかと思う。
本音の部分では、そうかもしれないと思いつつ、それを認めてしまえば自我が崩壊してしまうような危機感を
感じたのではなかろうか。
 
英語が彼らのスタンダードなので、『シックスセンス』にオスカーを与える事はどうしても認められなかった。
しかし、外国語映画で、自分たちとは別の世界、つまり「別文化にも敬意を払う」という目的だからこそ、
『おくりびと』には外国語映画賞での「オスカー像」が与えられた。
 
私はそんな気がする。
 
ちなみに、『シックスセンス』の監督はM・ナイト・シャマラン
1970年インド生まれ、幼少の時にアメリカのフィラデルフィアに移住している。
おそらく、純粋なキリスト教徒ではない。
多分、インドの仏教、ヒンドゥ教の影響で、
「死んだあと、魂は天国に召される(地上には何も残らない)」
というキリスト教的な発想は、持っていないのだろうと思う。
 
シックスセンス(Wikipedia)
 
M・ナイト・シャラマン(Wikipedia)

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