2016年11月16日水曜日

(54) 躁鬱病及び「夢」の働き

2012/4/24加筆・修正
俺自身の、まともと狂気の境目にある「塀」の上をよろよろしながら歩いていた時にメモ書きしていた、
お薬手帳の写し。こういう状態の時、その時の自分は「まとも」だと思っているんだが、
酒を大量に飲んだ人のように、後になると記憶が消えている事が多い。
という事は、「まとも」じゃないんだろうな。病識を持つ事の重要性を肝に銘じ続けねばならない。
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2009/6/10
まだ悪夢(9:30~10:00 寝てひどい夢で起きた
自分が精神科に嗚咽しながら、妻をお願いしますと声にならない声を出し続けながら入院する夢。(相当苦しいかすかな記憶)起きると涙⇒現実の方が楽、夢が苦しい。なんじゃこりゃ?(10:00@6/10メモ)。12:00まで起きていよう(夢が怖い・・・)
グッドミン1 ハルシオン1
あまりにも怖すぎる夢のため、ハルシオン復帰
 
6/11 PM11:30後記
まだ回復途上のためか、夢と現実の境界線が明確になりきっていない。
解離性人格障害の人の幻聴の気持ちがわかった気がする。夢の中では紛れもなく「音」が聞こえていた。しかし、通常は、夢と現実の境界は明確だが、こういう激しい経験をするとその境界があいまい。「ゆめうつつ」という状態になる。そこで聞いた音は現実か夢か?人間は誰も「夢」の中では幻聴を聞いている。
 
「なぜ悪夢を見たのか??」
本来なら考えるべき「悪」夢を、全て無理やり現実の中で想像しないように押し込めた無理を、夢の中で脳が解放したのではないか?
⇒(涙が久しぶりに出た)すっきり??
⇒この仮説が正しければ、これまで無理に押し込めてきた「悪」夢は、脳がスッキリするまで出続けるだろう。これまで、回復に従って悪夢を見た事も、これで説明できる。
 
⇒明日以降、悪夢を恐れる必要なし。それは正常な反応。しかし、睡眠薬は飲み続けた方が無難だろう。
 
 
(まとめ)夢というのは、人間が覚醒時に抑えた感情が、睡眠時に解放される現象。それが記憶に残らないというのもよくできている。現実を「善の心」で過ごし続ければ「悪」の心は夢で勝手に思ってくれる。しかも、記憶に残らないから、一時的な苦しみで終わり。
 
人間の脳ってスゲー!!
(養老さんの唯脳論にもこれは書いてなかった!!)
 
*2009年5月下旬、父が長期入院、母がメンタルで参ってしまい、躁状態に。
結果的に、俺は母親を医療保護入院させた(閉鎖病棟に1週間)。
これにより、「躁」の母親に「引っ張られてしまい」、俺自身が躁状態になっちゃった。
上記は、その上がっちゃった躁状態を5月下旬から6月上旬にかけて、落としていく過程での記録。 
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2012年1月(Yahoo!ファイナンスきっかけ)
2012/1/20  1/18~20ぐらい、ロドピン2回くらい 睡眠薬を何回か
12/1/21 グッドミン(1)
12/1/22 グッドミン(1)
12/1/23 ロドピン(25 mgx1) ロヒプノール(1)?
12/1/24 ロドピン(25 mgx1) レンドルミン(1)?
12/1/25 ロドピン(25 mgx1) ロヒプノール(1)?
12/1/26 「新しいロドピン」ロドピン(25 mgx2)辛うじてXXX(近所の心療内科の名前)で間に合う レンドルミン(1)
12/1/27 ロドピン(25 mgx2) レンドルミン(1) ハルシオン(1)
26日朝、27日朝、非常に深く眠ったという印象
朝起きた時、足がフラフラなくらい。
2009年6月のような悪夢はない。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
お祈りの効果か?
12/1/28  21:30  ロドピン25 mg レンドルミン(1)
12/1/29  ロドピン25 mg ロヒプノール(1)
 
2012年1月下旬は、
「俺のへそくりを増やしたい」という野望が膨らみ過ぎて、Yahoo株式掲示板にハマりすぎてしまった。
やり合う相手も強烈な人で、キツいんだけど、つい脳を長期間フル回転させてしまった。
短期間での脳の超成長という収穫が多分あったが、やっぱり、危険な行為。
「平和」に「静か」に生きていくなら、躁状態発動は、いくら脳が求めても抑えて行った方が、
細く長く生きられる気がする。
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なお、2012年2月以降、薬は飲んでいない。
2012/4/24現在、薬も不要、睡眠も良好。
また次にヤバくなる時が来たら、こういう時もあったと見直そう。
それが、再発する事が多いと言われる躁鬱病と、上手に付き合う俺なりのやり方だ。
 
ある意味、ロドピンは俺にとって脳を鍛えるための「ドーピング剤」的な所があって、
ロドピンがあるから、躁状態で脳をフル回転させても、行き過ぎたところで薬に助けてもらえる。
決まっているMax処方量を考えれば、俺のロドピン服用量は非常に少ないので、
「薬漬け」という状態になる心配もなさそう。
本当に良い時代だ。薬がない時代なら、俺は過去の数回の躁状態で、既に大変な事になっていただろう。
 
一方で、少々気になるのは、「躁鬱病」を告白しているブロガーは、結構Yahooブログにも多いが、
どうも、「減薬」に関して、上手くいっておらず、
お医者さん(薬を大目に処方して安全サイドへ、商売を考えても薬を大目に処方するというインセンティブ?)
と患者とが「共依存」みたいになってしまい、
結果的に「薬に頼る」という形になっているように見えてしまうケースが散見される。
 
減薬の難しさ、恐怖は、俺自身感じた事もあるし、とっても辛いんだが、
それを乗り越えないと、精神的に強くなるテクニックを身につけ(俺の場合は、自分の脳の客観視)、
躁鬱やうつ病を乗り越えて強くなる事ができないんじゃないだろうか、と個人的には思っている。
 
むろん、精神を患ってしまい、回復のために生活保護をもらわざるを得ないケースも多いだろうが、
日本の膨大な借金を考慮した時、厳しいと理解したうえで言わせていただくと、
医者にかからなくても良くなり、薬も飲まなくても大丈夫になるよう、心を鍛えていただく事は重要だと思う。
 
「うつ病は甘え」というのは、周囲の人は言っちゃいけない言葉だが、
やはり、病気になってしまった当人は心のどこかで、「甘えちゃいけない」と、歯を食いしばって頑張る気持ち、
それを自分で持たない限り、「うつ病」「躁鬱病」という、自分自身の頭の中にある、
自分のイメージをぶち壊す事ができないんじゃないか、そんな事を想ったりする。
 
俺自身、このブログで躁鬱病を告白して、その上で、
日本とアメリカの違い、世間の特徴などに関して情報発信をして、
世の中に認められたいと言う欲求があるのは、
多分、心のどこかで、「躁鬱病」という自分自身の持病に対しての偏見をぶち壊したい、
北杜生さんが、著作等で、躁鬱病のイメージ改善に貢献してくれたように・・・
という思いがあるんだろうなあ、そんな事を考える。

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