2016年11月30日水曜日

(370)香山リカさんと権威主義的パーソナリティ

今週号のSPA!の鴻上さんのエッセイで、香山リカさんのTwitterでの発言の事が出ていて、気になった。
 
(当該の香山さんのTweet)
(引用)
秘密保護法に反対してる人がみなキライだからきっと良い法律なんだろ、という意見をネットでよく見る。反対を語れば語るほど逆効果になるくらい嫌われてるちゅうことを、私を含めたいわゆるリベラル派は考えてみなきゃ。これじゃ反対会見開いてかえって法案成立に貢献しただけ、ってことになる (2013/12/5のTweet)
 
このTweetの後も、喧々諤々の意見が続いているようだが、これ読んで思い出したのは、
(257)権威主義と時代劇の記事。
ここに書いた『権威主義的パーソナリティ』
 
(前回と同様、Wikipediaからの引用)
 
(抜粋)
権威主義的パーソナリティは、社会的性格の一つである。この社会的性格の中でも特に、硬直化した思考により強者や権威を無批判に受け入れ、少数派を憎む社会的性格(パーソナリティ)のことを指して権威主義的パーソナリティと言われる。(中略)
フロムはこれを権威ある者への絶対的服従と、自己より弱い者に対する攻撃的性格の共生とした。思考の柔軟性に欠けており、強い者や権威に従う、単純な思考が目立ち、自分の意見や関心が社会でも常識だと誤解して捉える傾向が強い。外国人少数民族を攻撃する傾向もよくある。このような社会的性格を持つ人々がファシズムを受け入れたとした。
 
 
代替案のない批評が多過ぎるのは良くないと思う。特に、問題解決の具体策を早く決めなければならない時に、どんな意見・対策案に対しても批評・揚げ足取りが発生するばかりでは、一向に物事が決まらない。香山リカさんがおっしゃっている、『秘密保護法に反対している人が皆キライ』というのは、(リベラル派というのが誰なのかは別として)代替案のない批評が、今の日本には多すぎるのでは?という印象を、少なからぬ人が持っているという事だと思う。
 
しかし、だからと言って、権威主義的パーソナリティと呼ばれる社会的性格のように、強者や権威を無批判に受け入れる人ばかりになるのも大きな問題だ。この辺の話は、人や年齢、性格や所属する組織、地域、周辺環境によってバラバラなので、解りやすい明確な結論は出ない気がする。
 
ただ、秘密保護法の件、いろいろ考え方があるんだろうが、私は今回のメディアや新聞の一連の報道に関して、この方のおっしゃっている事に一理あると感じた。(【高橋昌之のとっておき】朝日・毎日への反論(3) 特定秘密保護法案に反対するほど取材しているか!)
 
『反対ありきの反対論』という印象しか読者に抱かせないようなメディアは、もう淘汰されるべき時期が来ているように思う。
 
同時に、匿名の世界の、権威主義的パーソナリティの傾向が強いと思われる人からの意見は、その人が匿名である限り、シャットダウンした方が、精神衛生上楽なような気がする。
 
こういう話は、匿名の世界での議論は話がややこしくなるばかりで、実名を堂々と出して話す勇気がある人同士の議論に任せた方がいいと感じる。

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