俺のHNの由来である、
「道という道は全て天竺に通じる。されば悟空よ、出鱈目に行け」という言葉。
ふと、この言葉、「現在」や、これから「未来」の事だけでなく、「過去」についてもそう考えた方がいいな、と思った。
40年近く生きて来ると、
「あー、あの10代の頃の暗黒の3年間が・・・」とか、
「あの、彼女ができず、悲しい程女の子にもてなかったX年間は本当に俺にとって思い出したくない過去だ。」
などと、過去の自分の歩んできた「道」の一部を、忘れようとしたり、
「トラウマ」という名で、無意識の奥底に封じ込めようとしていたりする。
でも、「トラウマ」を、一つ一つ、自分のペースで思い出し、それを自分なりに解釈していくと、
結構、その「トラウマ」があったからこそ、今の自分になっているんだ、という事に気付いたりする。
つまり、過去自分が歩いてきた、どんな道も、
自分にとっての天竺へ近づくために必要な、大切な道だったんだ、
と思う方が、自分自身のさらなる心の成長に繋がる気がするし、
何より、心のトラウマを昇華できた快感、その後の晴々しい気持ちは、何物にも代えがたい喜びのような気がする。
もちろん、一生、無意識の奥底にしまっておき、そのまま死んでいくしかないような、どうしようもない悲惨な出来事、多分、世の中には山ほどある。東日本大震災の被害が間違いなくそうだろうし、子供を暴走運転で轢き殺された親の気持ちなんか想像すると、言葉に表す事ができない。
そういう悲惨な出来事ができるだけ起こらない事を祈る一方で、日本という地震国で生きている以上、自然災害の恐怖から完全に解放される事は難しいし、それは、日本を仮に離れ、世界中どこへ行っても、完全に消えない恐怖のような気がする。突き詰めれば、「死の恐怖」は、生きる我々人間にとって、誰も、絶対に逃れられない恐怖だから。
それなら、「死の恐怖」の事を、考えないで済むよう、今の一瞬を生き続けるしかない。
「道という道は全て天竺に通じる」と信じて、今を一生懸命生きる事の大切さを噛みしめ続ける事に関しては、これまで通りの俺のやり方で問題なし!
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