2016年12月1日木曜日

(448) 死者の言葉を弄ぶな

昨年12月、電通で24歳の新入社員の方が過労死との報道。
ご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様におかれましては心よりお悔やみ申し上げます。

報道後のネットやSNSで、どうしても気になって仕方ないのが、死者の方の生前の言葉(主にTwitter)を、あまりにも軽々しく転記したりシェアしたりしている姿。

理屈ではなく、私はこれが生理的に受け付けられない。「虫酸が走る」「悪寒がする」という感覚。

時に幼い子供達が、我々大人からは残酷に見えるように無邪気に虫などの生き物の命を取り扱うのと似たような違和感を個人的にずっと感じている。

現代社会(特に都会)では、死を身近で経験する事が非常に少ない。

インターネットやSNSが発展しすぎて、死者の言葉を大切に扱う事を軽んじすぎる風潮になってしまっているのでは?

死体に対してきちんと手厚い対応をするのが当然であるのと同様、
死者の生前の言葉に対しても、それ相応の敬意を払うべきではないだろうか。
その事に無自覚の若い人達に対しては、宗教家の方達を中心にして、きちんと生と死というものへの向き合い方を教育すべきではないか。それは人間として、とても大切なことなのでは。

今回の過労死報道の後、お坊さんや宗教家の方のコメントがほとんど聞こえてこない。

自殺はどんな事があってもしてはならない。
何故なら、命はあなただけのものではないから。
命は与えられたものであり、あなたが死んだら、悲しむ人がいる。

・・・過労死に追い詰めた犯人探しも大切なんだろうが、それと同じかそれ以上に、これに似たメッセージを、きちんと本職の仏教のお坊さん達は日本の世の中に向けて、もっと発信すべきではないだろうか。

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