2016年11月30日水曜日

(352) 女性の参画と母性・父性

2016/11/30 一部加筆
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「なでしこ企業」とか、
「日本は世界で極端に女性の管理職の割合が少ない」とか、
「女性の労働力をもっと活用する」とか、
そういう議論をあちこちで聞く。
 
男の私が書くのは、とってもリスキーな議論なので、ここ、匿名のブログでの独り言としてこぼさせてもらう。



我が家に限った場合(我が家の構成 : 41歳の私、3歳年上の妻、2人の息子)の中では、どう考えても最強の力を持っているのは我が妻だ。パートで働いた時期もあるが、2016年現在では専業主婦。働く場所は主に家庭の中ではあるけれども、サラリーマンとして外で働いている私より、妻の方が圧倒的に充実して、かつ忙しい労働を毎日行ってくれているように見える。
 
そもそも、生きている中で、家の外で使う時間と、家の中にいる時間って、ほぼ同じか、週末とかも考慮したら、家の中にいる方が長いんじゃないだろうか?



日本人は昔から、家の外では男性が強く、家の中では女性が強い家庭、結構あったと思う。私の家に限って言えば、そうやってバランスを取っている。(今の時代では減りつつある、昭和的な古いタイプの夫婦間の仕事分担ではあるんだけれども)


そういう我が家での妻の大活躍を見ている私からすると、
「『家の外』(社会)で、女性が活躍できていないから、日本は他の国に比べて遅れている」という意見を聞く事があるんだが、それはちょっと違うんじゃないか、と思う。


昔から、世界の中で、家庭の中で女性が最も力を発揮し、生き生きと働ける文化があったのが我が国日本であった可能性もある。


それを壊して、欧米の文化に近付くのは個人の自由だが、本当にそれで日本人は幸せになれるのか?
 
資本主義の世界の定義では、「労働」というと、金銭のやり取りが発生するものだけをそう呼ぶので、家事労働や、育児が含まれない。


そこを忘れて議論すると、結局家庭の中の「仕事」の価値の高さに目が向かなくなり、結果的に家庭の中でサービスを受ける側(典型的なのは赤ん坊や幼児、子供)が昔に比べてますますないがしろにされるのではないだろうか。


労働は「お金を受け取る仕事」に限定して考えるべきではないと思う。直接の金銭的なやり取りが生じない家庭内労働も間違いなく『労働』であり、過去我々の両親や祖父母の世代からずっと、家庭内労働(特に育児)に、日本人は膨大な労力を掛けてきた。


近年の、「日本は、女性の労働力をもっと活用する必要がある」的な議論には、ここがすっぽり抜けているような気がして仕方がない。
 
私は極論すると、これが少子化の一因じゃないのか、とすら思っている。

欧米の場合は、ベビーシッターが一般的だったり、早くから子供に自立心を植え込むので、家庭が育児に対して担う仕事量が、日本に比べると小さい。対して日本は、『家庭内の事には立ち入らない』(家庭と世間を明確に分ける)傾向が強いので、家庭内の仕事量が多い。


この違いを無視し、家庭内の仕事の事を忘れて、社会での金銭のやり取りを伴う仕事だけで議論する事、ましてや海外(特に欧米諸国)との比較を行う事に対して、私は大反対だ。
 
ここを忘れて無理をし続けると、家庭内で問題を抱えてしまう所が増えてしまうんじゃないか?もう既に、そうなっている気もするが。


個人的な意見だが、中には昔ながらの日本的なやり方をする人だっていていいはずだ。


専業主婦は、他の家庭と競争するようなものではないが、料理が上手な人、掃除や片づけが上手な人、買い物上手な人、家計のやりくり上手な人、素晴らしい育児をしている人、どう考えたってそういう人達が日本に多大なる貢献をしている。我が妻は本当にそういう意味で、結婚して子供が生まれてからの10年以上ずっと継続して、本当に素晴らしい仕事をしてくれている。それは社会から高く評価されるべきだと、私は強く思う。
 
またいつものパターンで恐縮だが、「世間 母性」、「世間 父性」でググっていただくと、(236)母性と父性がヒットしている。
 
(236)母性と父性
 
生物学的に、男と女は違う。
 
男はこうあるべき、女はこうあるべき、と押しつけるのが時代遅れなのは明らかだが、その生物学的な違いによって、子育てを考えた時、典型的には「父」はこういう役割(父性)、「母」はこういう役割(母性)を担った方が、家庭での子育てが上手く行きやすい、という先人たちの知恵は、しっかり理解しておくべきだと思う。
 
その日本人の先輩たちが型にしてくれた基本を理解した上で、それぞれの個人や夫婦の性格によって、アレンジ・分業していけばいい。


中には、家庭の中で、父親が「母性」を発揮し、母親が「父性」を発揮する家庭もあるだろう。実際、私が知っているアメリカ人の偉い女性マネージャー達の中には、複数、専業主夫の旦那さんがいて、きっちり家庭で子育てをしていると楽しそうに話す人達がいた。
 
これを、「男だって女だって関係ない」「父性とか母性なんてどうでもいい」と頭を使わない、学ぼうとしないのは、良くないと思う。子供の目線から見た時、それは大切な事を見落としているように感じる。

例えが良いかどうかは解らないが、スポーツも、最初は上手な人の真似、あるいは、型を覚えるところから入る。自分なりにアレンジするのは、まずは基本を理解し、身につけてから。ピカソも、最初は風景画、人物画は、模写から入り、そこからキュビズムの世界を創りだしたのは有名な話だが、最初からキュビズムをやろうとしても、ダメだろう。それと似ている。
 
そういう自分でキュビズムと思い込んでいる、困った芸術家の人ほど、基本を学ぼうとしている人を攻撃的に批評したりする。私は、そういう人は絶対に相手にしたくないが。
 
男はロマンを追いかけ、女性は現実的。そのそれぞれの良さを生かす方法を考え続ける必要がある。

この、女性(AYAさん)のおっしゃっている事に、私は強く共感する。

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