里見八犬伝で有名な以下の言葉。
仁 (誰それと隔たりなくいつくしむ心)
義 (義理人情を尽くす心)
礼 (礼儀を重んじ感謝する心)
智 (善悪を見分ける心)
忠 (まごころで仕える心)
信 (信じる心)
孝 (先祖を大切にする心)
梯 (仲良くする心)
儒教の大切な考えを表していると思う。
義 (義理人情を尽くす心)
礼 (礼儀を重んじ感謝する心)
智 (善悪を見分ける心)
忠 (まごころで仕える心)
信 (信じる心)
孝 (先祖を大切にする心)
梯 (仲良くする心)
儒教の大切な考えを表していると思う。
それぞれの大切さについては全く異論はない。
しかし、生きていると、時に、どちらを優先するか、迷う時がある。
例えば、
1.(奥さんや子供から)「私(僕・家族)と仕事、どっちが大切なの?」
⇒ 会社への”忠”と家族への”仁”のジレンマ
2.(経営者・上司の方なら)「会社でのトラブルや、部下の大問題を処理する事が大切で、家族との大切な行事をキャンセルせざるを得ない。」
⇒ 部下への”仁義”と、家族への”仁”のジレンマ
3.(正社員一般)「親の死を看取らねばならない事と、絶対に外せない仕事との両立」
⇒ 両親への”孝”と、会社への”忠義”のジレンマ
4.(古典)「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」 by 平重盛
⇒西暦1177年の時点で既にあったと思われる、”忠”と”孝”のジレンマ
自分としては、一番身近で、いつ言われてもおかしくないのは、
1の、奥さんや子供から言われるかもしれない、「私(僕達家族)と仕事どっちが大切なの?」という言葉だ。
優等生的な答えは簡単だ。
「お前達に決まってるだろう。でも、お前たちを養うために、俺は、働いて金を稼がなきゃいけない。
だから、仕事はとっても大切だ。」
一見、非の打ちどころがない。
働いている、男の立場からすれば、間違いなく正しい。
・・・しかし、である。
日本と言う国で、家庭を持つ事と、正社員の仕事を両立する事は、
おそらく、この言葉を準備しておくだけで乗り越えられるほど、甘くない。
戦後の高度経済成長期のモーレツサラリーマン世代の方の中には、
この言葉を「逃げ道」にして、仕事に打ち込み過ぎてしまい、
子供が不良になってしまったケースや、
定年後に奥さんから三下り半を突き付けられてしまうケース、
夫自身が定年後にやる事がなくなってしまい、燃え尽きてしまうようなケース、
おそらく相当数存在したと予想する(これからも発生?)。
・・・これらの仮説から判断して、アラフォーの俺の、これからの収入面での計画は、
給与 : 「日本人のサラリーマンの平均給与よりも、ほんの少しだけ高いレベル」を目指す。
出世 : できれば、一生平社員。さすがにリストラされそうなら、それなりに頑張る。
でも、偉くなると大変そう。
副収入 : できれば、個別株式投資など。ほんの少しだけ、両親からの遺産にも期待。
である。
「ワークライフバランス」は人それぞれ。
その人の人生計画に見合った、ワークライフバランスを選択すればいいと思う。
中には、どんどん出世して偉くなりたい人や、会社を自ら経営したいような人もいるだろう。
でも、仕事で付き合いのあるアメリカ人を見ると(一概には言えないが)、
有名大学のMBAを持っており、高収入を目指す、fast track(出世コース)と呼ばれるような道を進んでいる、
今もモーレツに働いている人の中のかなり多くのパーセントが、
離婚を何度もしていて慰謝料まみれだったり、
そもそも結婚できていなかったり、
家庭を犠牲にしているようにしか見えなかったりする。
そんな人達の中には、うまい飯を食い、良い車に乗り、広い家に住み、海外に来ると女遊びしたりする人もいる。
多分、彼らは彼らの幸せを追い求めた結果、そうなっているんだろう。
・・・でも、俺の場合はやっぱり、何かが違う。
アラフォーになって、多分俺はこれからの俺自身の人生の方向性を、おおまかに決めようとしている。
ここで、またしても、テーラワーダ仏教の慈悲の瞑想の話になる。
1.私が幸せでありますように
2.私の親しい人が幸せでありますように
3.生きとし生けるものが幸せでありますように
大切なのは、「私の親しい人」を、自分の周囲に、同心円状にイメージする事だ。
私のケースなら、
①一番近い所に、妻と子供達2人、
②その次の同心円に、私の両親(団塊世代)と祖母(大正生まれ)、
③その外側に、仕事で毎日会っている、会社の上司や同僚の方々、
④その外側に、お客様として弊社製品をお買い上げいただいている、取引先のお客様、
⑤その外側に、日本人全員
・・・この辺から、今の俺の場合、「私の親しい人」と「生きとし生けるもの」の境目になって来る。
そして、俺はこれを毎日、毎晩、寝る前に繰り返せるよう、心がけている。
調子がいい時は、この慈悲の瞑想をしながら、気持ち良く眠りにつける。
悪い夢を見る事も少ない気がする。
典型的な日本の会社に勤務され、仕事に集中なさっている方の場合、
もしかすると、②と③が逆転するような、精神状態になっている方が多いかもしれない。
しかし、②と③の逆転は、おそらく、日本の社会通念上、おかしい。
一般的に、自分の両親への恩を捨ててまで、会社への奉公を強制する会社は、
日本では「ブラック企業」と呼ばれていると思う。
しかし、おそらく、会社側はそれを強制はしていない。
長期雇用で、会社の「空気」「世間」に染まった結果、
自分が気付かない間に、②と③が逆転してしまっている事に、
ハッと気付くようなケースもあるかもしれない。
そして、今や、国際語となっている過労死(karoshi)のようなケースは、
「私が幸せでありますように」と
「私の親しい人が幸せでありますように」を、
同心円状に配置させる順番を、いつの間にか間違えてしまっている。
怖いのは、多分、それは本人は無意識である事だ。
ちなみに、調べた事はないが、多分、
キリスト教や、イスラム教などの一神教を信仰する人にとっては、
「同心円状に配置する」というイメージ自体、理解してもらう事が難しいだろう。
神のイメージが強すぎて、多分、「自分」と「神」とが直線状に繋がってしまう。
しかしながら、脳の進化のメカニズムを考えた時、
(猿やライオンが神を信じているとも思えないので)
唯脳論的には、同心円状のイメージを持つという脳の使い方は、多分合理的だ。
しかし、世界人口の8割は一神教を信じているとどこかで聞いた事がある。
この意味でも、おそらく、我々日本人の宗教心は、
世界と言う視点で見ても、極めて特殊であり、
「ガラパゴス」である気がする。
1 件のコメント:
過労死の問題を考えるとき、この記事の視点は1つのヒントになるかもしれない。
電通での新入社員の女性の方の過労死により、世間は様々な反応を示しているが、人それぞれ価値観や生き方、家族構成、家族や所属組織は様々。
その中で普遍的なものは何なのかを考えないと、多様性の中で議論は発散してしまい、不毛な意見対立、時間と労力の無駄が生じてしまう。
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