(189)東野圭吾さん
の続き。
会社のノートパソコンが使えなくなり、慣れないi-Pad2なのでやりにくくてしょうがない。
来週からテレビでまたドラマのガリレオが始まるという話を聞いて、東野圭吾さんを思い出した。そういや、ブログで前に記事書いたなと思って、「世間+東野圭吾」でググったら、189が2位に出ている。自分で書いた記事だが、よくこんなこと考えている暇があったな、と、約1年前の自分自身が別人のように思える。
一方でちょうど昨日、時間はあるので、北野武監督のアウトレイジのDVDを見た。DVD特典の、役者さんたちへのインタビューを見て、改めてたけしさんの天才っぷりに鳥肌が立った。以前に映画館でアウトレイジビヨンドも見たが、たけしさんのカメラの撮り方は、多分独特なんだろうと思う。
そんなことを思い出しながら自分が書いた記事を読んでいて、たけしさんの芸術作品、自分の脳を手に持って、それを見ている自分は誰だ?みたいな作品について書いているのに気づいて、いくつかの話が繋がりそうな気がした。
多分文章はグチャグチャになるだろうが、慣れないi-Padなので許してもらおう。
数件前の記事に書いたように、たけしさんは類い希なる「鳥の目」を身につけておられる。自分を客観視し、俯瞰できておられるんだろう。アウトレイジの残酷な暴力の描写だが、役者さんが「尾を引かない」「乾いている」みたいな事をおっしゃっていた。私の記憶が正しければ、暴力の描写のカメラの位置が、常に遠くから引いた所からだったような気がする。
暴力を振るわれている側に感情移入すると、こっちまで痛くなり、恐怖を感じるようなシーンの連発なんだが、そういう時、巧みにカメラの位置が遠くに離れ、鳥の目的な目線になるので、痛みを感じにくい。多分だが、たけしさん自身、昔から何度か暴力を振るわれた時、意識的に自分の目線を遠くに置いて、「あ、たけしくんが殴られている」という感覚になれるまで自分を客観視する事を繰り返してきた、それをカメラの位置に直した時に、アウトレイジの、ああいうカメラ撮りになるんだと思う。
対照的に、189の記事で書いたように、東野圭吾さんの「変身」で書かれている文章は、徹底的なまでに「虫の目」的なんだろう。だからこそ、私は小説を読んだ時に主人公の立場に入り過ぎて、自我が揺れるほどの影響を受けた。おそらく、日本語の主語の省略という特徴、鳥の目的な描写になりやすい英語との違い、これがあるから、東野圭吾さんの作品に、私は引き込まれたんだろう。
東野さんの作品群としては、ガリレオの方が後だ。もしかすると、意図的に虫の目を弱め、変人の主人公に鳥の目を強調させ、それぞれを上手に調和させているから、これだけ大勢の人を魅了しているのかもしれない。
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