2016年11月24日木曜日

(247) ジョハリの窓

ジョハリの窓
 
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英語のWikipediaの方が先に進んでる感じもする。相当奥が深そうだが。
 
さて、4分割に別れた領域だが、何故コミュニケーションが楽しいかを考えた時、大きく分けて2つあると思う。
 
①自己開示(秘密の窓が狭まり、開放の窓が広がる)によって、承認の欲求が満たされる。解ってもらえた、自分を理解してもらえた、受け止めてもらえた、と安心できる。
 
②相手側から指摘される事で、盲点の窓に自分が気付ける。(盲点の窓が狭まり、開放の窓が広がる)
 
この①と②を繰り返していくと、多分未知の窓も自然に狭まって行くんだろうと思う。
 
 
そこで考えたんだが、カウンセラーに助けてもらうような場合は別として、一般的にコミュニケーションは双方向に起こり、お互いが満足しないとうまく進まない。友人同士、夫婦、恋人、親子、先輩と後輩、上司と部下・・・いずれもそうだと思うが、一方だけが満足する関係は、一時的には成立しても、長く良好な状態は続かないと思う。
 
従って、コミュニケーションに関わる人、全ての人に「ジョハリの窓」がある事をイメージして、極力まんべんなく、或いは均等に窓が広がって行く状態、関係が、理想的なコミュニケーションなんじゃないかと思う。
 
 
良くありがちなコミュニケーションの失敗は、
①自己開示が特定の人に偏る ⇒ その人の開放の窓は広がっても、周囲の人の窓が広がらない。
 
②皆が互いに距離を置き過ぎ、誰の開放の窓も広がらない ⇒ 匿名だからこそやりやすい場合、実名だからこそやりやすい場合、両方のケースがありそうだ。
 
自己開示を誰かが先にやらないと、皆が気を使い、浅い話だけをするという状態になりがち。①で自己開示し過ぎるタイプの人は、「空気が読めない」と受け止められやすい人が多い気がするが、そういう人もいないと、コミュニケーションは深まらないと思う。
 
コミュニケーションの密度が濃く、手間暇がかかる順に思いつくコミュニケーション手段を並べると、
 
①Face-to-Faceのコミュニケーション(対面)・・・酒の席、仕事中、学校、家庭など、どういう場かにも依存。
②テレビ会議、電話、Skype
③電子メール
④Facebook
⑤Twitter
⑥匿名ブログ
⑦Yahoo知恵袋
⑧2チャンネル
こんな感じだろうか。
 
基本的には、①~⑤は実名、⑥以下は匿名。
匿名だからこそ言える意見、話せる事もある。
 
どこまで開放の窓を広げたいか、それは本人次第だが、ITの進化によって、多分コミュニケーションのツールに日本人がかける時間の総和としては、①~⑧のうち、上の方ほど昔に比べると減少し、下の方ほど増えている気がする。自分の周辺の今の流行りは、匿名の世界が荒れ過ぎる傾向があるせいなのか、Facebookをやる人が増えている感じがする。
 
ツールは所詮ツールでしかない。どのツールを使うかは、人間が決めるものであり、ツールの方に振り回される必要は全くない。多分大切なのは、自分が一番快適になるよう、かつ、周囲の人と協力しての、開放の窓の広げ合いも有効にできるよう、いろんなツールを使い分ける事じゃないかな、と感じる。
 
個人的には最近、Facebookにハマり過ぎて、開放の窓を広げるのにちょっと疲れ気味。本家のアメリカでも、「Facebook疲れ」という現象が起こっているそうだが、私自身、まさにそんな感じ。実名というのは、荒れにくいけれども、実名だからこそのしんどさ、気疲れみたいなものも生じてしまう気がする。

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