2016年11月22日火曜日

(216) アイデンティティ(Identity)

アイデンティティ(Identity)
 
このWikipediaによると、「青年期の発達課題」と書いてあるが、
今の日本では、占い師やら、スピリチュアル的なものへの潜在的な要求が物凄い事になっている気がする。
その意味では、今の日本人には、(俺も含めて?)「大人」の顔しながら、
「青年期真っただ中」の人達が、相当の人数、いるような気がして仕方がない。
 
実際、上記Wikipediaにも、
「自我同一性を獲得するために社会的な義務や責任を猶予されている準備期間をモラトリアムと言うが、これはアイデンティティが確立するまでの猶予と言う意味を表しているに過ぎず、エリクソン自身は青年が様々に葛藤したりする戦いの時期として捉えていた。」と書いてある。
 
今の日本人、実はみんな「モラトリアム真っただ中じゃねーの?」
という気すらする。
 
一応、俺なりに考えがあって、
日本人のIdentityは、一人一人が持つ「名前」に凝縮されている気がする。
 
「山田太郎」さんなら、
「山田」 : ご先祖様から受け継いだ、家族の名前
「太郎」 : ご両親等が、願いを込めて名付けた、個人の名前
 
つまり、典型的な日本人で、
Identityがしっかりしている人 = 自分の名前に誇りを持つ人だと思っている。
 
その意味では、このネットの世界での俺のIdentityは「michitenji」というHNだ。
(名前をつけた由来については、1番の記事をご参照下さい)
 
記事も216件目となり、そろそろ、俺自身にとってはmichitenjiが、
「由緒正しき名前」「思い入れのある名前」になってきた。
 
ネットの世界では、名前を変えるのが当然というルールで、逆にそれによって、
「気楽に、自由に、どんな事も発言できる」という状態が得られるんだろうが、
人間って、いつかIdentityを確立させないと、多分どこかで自分の人生にどん詰まり感を感じる気がする。
 
もちろん、リアルの生活ではきちんとしたIdentityが確立していて、
そこで抱えた不満や愚痴などを、匿名のネットの世界でぶちまける、というのは、全然OKだし、
そのために、これだけYahooさんや、2チャンネルなんかのニーズがあるんだろう。
 
でも、老婆心ながらちょっと気になるのは、ネットの世界にハマりこんでしまい、
ネットの世界だけでIdentityを探しているような人も、出始めているんじゃないか、とちょっと気になる。
もしそうなら、ネットの世界は相当過酷な環境だと思う。
少なくとも、自分の名前を変え続けて、あちこちで会話していても、
多分、自分自身のIdentityにはたどり着けないんじゃないかな、と感じる。
 
Identityを確立しようとする時、ネットの環境での「大勢いすぎる批評家」は、多分逆効果だ。
多少なりとも自分を甘やかし、厳しすぎる意見をシャットダウンして、
自分の考えを壊れないようにしながら大切に育てると言うのも、
多分必要だ。
 
そういうのには、本屋で買った本なんかを、静かに一人で精読したりする方が良いと思う。
 
ちなみに、我々日本人のご先祖様、
幕末の志士の方々や、戦争をご経験された方々は、激動の時代を生きられたから、
Identityを確立された時期も相当若い時だったと思う。
現代でも、一応成人は「20歳」だが、多分、それよりも若いぐらいかもしれない。
 
多分、そのIdentityは、上述した、苗字と下の名前に象徴されていたと思う。
 
現代では、俺自身の過去を振り返ると、25歳じゃ、まだまだガキ、
自分の子供が出来た30歳でやっと半人前、
37歳になって、やっとIdentityらしきものができてきて、ちょっと大人になれたかな~、みたいな感覚だが。
 
話はちょっとずれるが、アメリカ人は、名前について全然こだわりがない。
平気で名前のスペルを間違えたりする。
と言う事は、少なくとも、日本人と違って自分の名前にIdentity的なものは求めていないんだろう。
 
では、アメリカ人は、何によってIdentityを確保しているんだろう?
自由、平等、平和、誰でも自由に自分の意見を言える事 : 思想
神様の下で皆平等 : 宗教
その辺じゃないかな、と考える。
 
多分、この二つを、子供の時から染みつかせるから、
(日本人と比べれば)「名前はどうでもいい」という習慣になっているんじゃないかなあ。
 
日本人には「名前」はあるが、「思想」「宗教」はない。
アメリカ人には「思想」「宗教」があるが、「名前」は「軽い」。
養老先生の著作、「無思想の発見」にも通じる何かを感じる。
 
モラトリアムに悩んでいた俺は、自分の「名前」に思い入れを持つ事で、
モラトリアムから逃れ、Identity確立に一歩近づけている気がする。
でも、「40歳にして惑わず」という境地には、まだ達しきれていないが。

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