タイトルは煽りです。
すいません。
『まだ・・・で消耗してるの?』
という、イケハヤさんが広めたフレーズ。
ふと、この煽りに刺激されてしまうのは、以下の条件に当てはまる人なのではないか、と感じた。
1.過去・・・に魅力や新しさ、ワクワク、将来性、未来、希望などを感じた。
2.それにより、・・・に夢中になり、一時期がむしゃらに熱中した。
3.ところが、飽きが来てしまったり、・・・が成熟してしまったり、伸びが止まってしまい、昔ほどの希望が見いだせない状態にある。
こう考えると、・・・部として
『東京』;イケハヤさん
『NewsPicks』;今回の煽りタイトル
そろそろ『Pokemon Go』とか?
そしてNewsPicksがきっかけで思いついたこのブログのタイトル、
まだ『炎上』で消耗してるの?
(*注、2016年9月15日記入)
2016年7~8月、一時的に本ブログタイトルを「まだ炎上で消耗してるの?」にした時期がありました。
よくよく考えて見ると、人間は『炎上』つまり、燃える時期がないと、充実感を得られない。
私はかつてツルモク独身寮を読んで東京にあこがれて18歳の時に地方から『東京』に出てきて、数か月前に『NewsPicks』にはまり、数週間前に子供と一緒にお金をかけずに夏休み中に遊べるかと思って『Pokemon Go』にはまり、数年前まではブログに文章を書くのに夢中になっていた。
『何かに燃える』事を『消耗』と呼んでしまうのは、生きる事の否定になってしまうのかもしれない。
いずれの煽り文句に対しても、「なんだとこのやろ~!」と感じる事は素晴らしい事なのかもしれない。
40歳を過ぎた最近、なんか疲れている。
ミッドライフクライシスとか、男性更年期と呼ばれる症状かもしれない。
というわけで、今回記事のタイトルは煽りと言うよりも、私の個人的な"ぼやき"。
そう言えば、私のブログ名、"まだ炎上で消耗してるの?"に変更する前は"世間研究家のぼやき"だった。
ブッダは"生きる事はDuhkhaである"とおっしゃったと、昔何かの本で読んだ記憶がある。(苦諦?)
Duhkhaは「苦」と訳されたが、おそらくちょっと意味合いは違う。
人生とは重き荷を負うて遠き道を行くが如し(by 徳川家康)
重き荷を負い、Duhkhaを受け入れ、あと最低25年以上の会社員生活を受け入れる。
他人から見てそれは"まだ消耗してるの?"かもしれないが、私にとってはそれが私の人生のような気もする。
あー、また不毛な思考のループだ。
目的本位に戻らねば。
2 件のコメント:
たまにだが、まだNewsPicksは続けている。スマホからはアプリを削除したので、パソコンからだけだが。
NewsPicksは、コメント人気上位の常連の方々がほぼ決まり、多様性/変化が少なくなった。
意見としては、第一線で働くビジネスマンや経営者、コンサルタントなど、どちらかというと社会で成功している人の比率が高いので、そういう人達が是とする意見に偏るようになった気がする。
一方、2ちゃんねるなどの匿名サイトや、ヤフーニュースやブロゴスのコメント欄は、社会的にうまくいかなかった中年以上の方達の比率が高まり続け、若い人は寄り付かない場所になりつつあるように感じる。
これも時代の流れか。
「炎上 消耗」でググると、このblogspotの記事が出るようになった。相変わらずページビュー数はショボイが。
キングコング西野氏の騒動をトランプ氏の騒動に例えた徳力さんのyahooの記事を読んで、なんとなくだが、私は(徳力さんと)似たようなタイプなのかな、という気がする。
炎上が気になるんだが、果たして私は炎上に消えて欲しいと思っているのか、それともそこに共通する「不毛さ」「虚しさ」みたいなものを見つけて文章化したいだけなのか。
よくわからない。
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