タイトル訂正、末尾部の文章に加筆
このブログを始める前の、俺の日記を現在整理中。
35歳(数年前)の時の悶々とした悩みが懐かしい。
以下、俺が35歳だった時に書いた文章。
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(その1)
35歳問題、クォンタムファミリーズ(東浩紀)の言葉。
僕は考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、
決してなしとげられなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。
生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、
残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。
ある職業を選べば、別の職業を選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。
直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。
そして、その両者のバランスは、おそらく三十五歳あたりで逆転するのだ。
その閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。
それはそもそもがこの世界に存在しない、蜃気楼のようなものだから、
いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない。(28p)
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(その2)
1Q84という年が、村上春樹が35歳の年である事、
村上春樹が35歳という年を一つのターニングポイントとして捉えている事、
まさにその年に、俺が村上春樹にハマり、今現在、人生にも思い悩んでいる事、
これを俺個人の中で大切にしたい。
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(その3)
親父のメールでも、「特にこの時期(35歳)あまり悲観的に考えず、いい加減に仕事をする事も大切です」
65歳を超えた親父が、過去の人生経験上、35歳というミドルエイジに特に注目している。
やはり、35歳というのは何かあるんだろう。
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本日(2016/8/18)現在、まだミドルエイジクライシス(ミッドライフクライシス)から抜けられていない。と言うより、35歳の時に比べると、悪化している。
困ったもんだ。
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