2016年11月29日火曜日

(331) 肖像の危険性

最近、日経の「ルポ迫真」の特集で、JALの再生に関しての、稲盛さんのやり方についての報道がされている。
 
気になって読んでいるんだが、日経は非常にその改革を好意的に書いている。
 
(以下、今日アップされた、ルポ迫真スペシャル。日経さんはすぐにリンクアドレスを変えちゃうので、何日かしたらリンクが無効になるだろうが)
 
私はアマノジャクな所があり、かつ、匿名の世界で、比較的身の安全が確保できると思っているので、あえて反対の意見を書いてみようと思う。
 
稲盛さんの本は何冊か読んだ。本の内容は本当に素晴らしいと思う。
 
しかし、仕事をしていると、稲盛さんと言えば・・・という会社群
(もちろん代表的なのはK社。それ以外にも、経営再建に従事された、大手通信系のK社)
そこを辞めた人達や、そこと取引先として関わった人達から、『あの会社はとんでもない』という話を、かなり高い頻度で聞く。
 
例 : 自殺者が出た、カルト教団と似ている、過労死させられそうになった、自分達の身を守るためなら手段を選ばない・・・等々。
 
個人的に、非常に怖さを感じるのは、そのK社関連の会議室などでは、社是と並べて、稲盛さんの肖像を掲示している姿だ。朝礼等で、稲盛さんの本の一部を皆で読み合って、その素晴らしさを褒め合う、というのも、なんとなく恐い。
 
専制国家である北朝鮮然りだが、”カリスマの肖像”を掲示する事は、非常に危険だと思う。その肖像の人がどんなに優れた人物であっても、いや、むしろ、その肖像の人物が優れていればこそ、その人物は、自分の肖像の掲示を止めるよう、強く言うべきだと、私は思っている。
 
素晴らしいのは、その人物ではなくて、その人物が語っている言葉の『内容』である、という事を組織の人に強く理解してもらわなければ、そこに、カルト教団的な暴走が始まる種が生まれる可能性がある。
 
素晴らしいカリスマであり、優秀な人自身が、そのリスクに気付いていないはずがない。
 
稲盛さんがなんとなく恐ろしい感じがするのは、おっしゃっている事や書かれている本、ご自身の行動全てが素晴らしい一方で、自分の肖像の掲示を否定せず、朝礼等で自分の言葉を復唱する状況が行き過ぎる事が起こるかもしれない事に対して、全くフォローをなさっていない感じがする事だ。極端な話、人間いつか死ぬわけなので、自分自身が死んだあとの事を考えれば、肖像の掲示を辞めるよう、強い指示を出す方が、あれだけ優秀な方であれば、むしろ自然だと思う。
 
それをなさらないと言う事は、心のどこかで、稲盛さんご自身の『考え』ではなく、『稲盛さんという人間自体』が尊いと周囲に認めさせたい、という野望みたいなものを、心の奥底にお持ちなんじゃないだろうか、と、実は私は疑っている。「私心なかりしか、動機善なりや」という言葉は、「自分の肖像を会議室等に掲示するのを黙認する」という行動(あえて『行動』と書いてみた)と、整合性があるか?
 
モーセは、十戒の中で、「わたしのほかに神があってはならない」と、排他性を是としてしまった。
一神教であるイスラムとキリスト教の衝突の不幸の始まりは、私はこれじゃないか、とすら思っている。
 
ブッダは、偶像崇拝を良しとしなかった。
しかし、イスラム教と違い、『偶像崇拝を禁じる』とも決め事を作らなかった。
だから、仏像は世界中に山ほどある。
でも、京都や奈良のお寺とかで見る仏像は、我々に考え方を押し付けて来ない。
そういう日本古来の仏像からは、
「話は聞きます。アドバイスをする事もあるかもしれない。でも、基本的には自分で考えなさい」
と言われているような気がする。
 
オウム真理教のように、教祖自身が道を誤った例は別として、
日本の新興宗教なども、初代が存命の間は良いとしても、『考え方』ではなくて、『人』や『経典』のようなものを重要視し過ぎる余地を残してしまうと、その内容が良いほど、私は逆に危険を秘めていると考えている。
 
個別の宗派に文句は言いたくないが、日蓮宗の教祖である日蓮さんは、『法華経』を重要視しすぎたんじゃないかと、個人的に思っている。法華経の内容が素晴らしいなら、何が素晴らしいのかを、初めて学ぶ人にも解るような方法を伝えておくべきだと思うが、「南無妙法蓮華経」というお題目を強調し過ぎて、形を重要視しすぎる傾向があると思っている。
 
そういう事と、日蓮宗系は、歴史を見ても、他宗派に闘いを挑み過ぎる癖がある事とは、無関係じゃないと思う。
 
ブッダは、そんな事を伝えたかったんだろうか?
 
少なくとも、般若心経や、テーラワーダ仏教が現代に伝えている、慈悲の瞑想やヴィパッサナー瞑想を自分で数年間続けてみた限りに於いて、ブッダが伝えたかった事と逆行するような方向に進むリスクを放置してしまっていると思う。
 
京都・奈良のお寺等に現代も残っているが、数多くの人がブッダを尊敬して、自分からたくさんの仏像を作ったのは、自発的に作ったんだと思う。元々、「仏像を作れ」という、強い側から弱い立場の者たちへの指示は、非常に弱かったと思う。
 
だからこそ、実力があり、カリスマがある人は、(少なくとも自分が生きている間は)自らの肖像を自分の弟子や後輩が作ろうとしたり、掲示しようとした時、それを止めるべきだと思う。「肖像に逃げて思考停止するな!!自分の頭で考え続けているか?」と、部下や、自分を慕う人の事を叱るべきだと思う。私は、その努力を怠るのは、非常に無責任だと思う。
 
正直、稲盛さんのJAL再生の姿を、日経新聞が今のような形で伝えている姿が、私はものすごく怖い。
 
匿名とは言え、この内容をブログに書くことも、実は相当怖いが、あえて勇気を振り絞って書いてみた。

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