滅多にない事なんだが、時間を置いて何度読み返しても、読み返すたびに新鮮な感動、気付きが得られる文章に出会える事がある。養老先生の「唯脳論」が私にとってのそういう本。5年おきに読んでも、多分その5年の間に自分が変わるので、前に読んだ時には解らなかった事が少しづつ解るようになるからだろうと思う。
そういう意味で、(218)運鈍根
ここでもリンクを張らせてもらった、以下の記事(2007年3月の、当時東大総長だった小宮山宏さんの告辞)が、そういう素晴らしい文章だと感じる。
*蛇足ですが、9/27現在、「運鈍根 世間」でググっていただけますと、218がトップ表示されます。
読み返して、218とは違う所で、心に染みわたったのが、
「教えることは、教えられること」
という部分。
私の場合は、7歳と5歳の息子達に対しての、父親としての自分を思い浮かべた時、
まさに、「教えることは、教えられること」だという思いを強く感じる。
長男が3歳、次男が1歳頃、近所のスーパーで、ポケモンのカップヌードルを何も考えず1個だけ買って、次男に渡した時、長男が例えようもない程辛そうな顔を見せた。奥さんが「もう一個買ってきて!」と、とっさに言ってくれて、慌てて買いに走ったが、3歳と1歳の男兄弟の間に起こる「嫉妬」というのは、こういうものなのか!!、と愕然とした記憶がある。母親も一人っ子、自分自身も一人っ子の俺には全く悪気がなかったんだが、強烈な気付きだった。
今は7歳と5歳になった息子達、親としては「教えてやっている」という気持ちは失敗の元だと思う。何でも親がやってしまうと、子供の自主性を奪ってしまうし、息子が自分の頭で考えている間は親はじっと黙って我慢する、アドバイスするのは、息子の方が助けを求めて来た時。これは『他人に自分が伝えたい事を理解してもらいたい』時に応用できる気がする。
また、例えば7歳の長男が5歳の次男に対してリーダーシップを発揮し、次男が長男を慕うように誘導するのは、「ファシリテーション」の実践、或いは「リーダーとしての組織の管理」の実践、そのものであり、まさに、『息子達に教える』=『息子達から(仕事や人生にも役立つ)たくさんの事を教わる』だ。
後輩や、若い人達に教えるのも同じような所があって、若い人の新鮮な発想にいろんな事を気付かされる事も数多くある。
小宮山さんの文章を、これからも何度か読み返して、その都度新しい気付きをもらおうと思う。ちょうど今日(9/27)の日経新聞の広告(住友林業)に出ておられたが、日本には偉大な人がいるもんだ。養老孟司さん然り、小宮山宏さん然り。
・・・自分の人生を考える上で参考にしたくない人達(世襲が目立ち過ぎる政治の世界の人達とか)を見てると、腹が立つ上に、前向きな気持ちになれないので、養老先生や小宮山先生のような、人間的にも、能力的にも素晴らしい人達の文章を、なるべく多く読むようにしなければ、という思いを強く感じた。
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