2013/10/7 岡本太郎記念館にて撮影した写真を追加
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決して268の記事繋がりではないんだが、芸術実行犯(Chim↑Pom著)という本を買って読んでみた。先週発売のSPA!の鴻上さんのエッセイで取り上げられていたので。
アマゾンの書評
全く予想していなかったが、相当面白い本だった。彼らの言う「アート」という考えを理解し、受け入れられる人もいれば、反感や嫌悪感の方を強く感じる人もいるだろう。しかし、私自身は、「若さ」ってこういうイメージだな、と比較的好意的に感じた。
彼らのホームページにある、「プロジェクト」
2006年の「スーパーラット」は、嫌悪感を持つ人は少ないだろう。
2007年の「アイムボカン」のカンボジアでの活動に至った行動力は凄いと思う。
2008年の「広島の空をピカッとさせる」に込めたかった彼らのメッセージは、本に書いてあったが、解る気もする。
しかし、だんだん、社会と激しくぶつかる方向に進んでいる気がする。
去年、渋谷の岡本太郎さんの「明日の神話」に、福島原発の絵を描き足したのは、ニュース等で話題になった。
今は私もある程度冷静に振り返る事ができるが、原発事故が起きた直後、まだ原発事故の恐怖に日本中が怖れおののき、福島で苦しんでいる人が大勢いる4月末の時点でのこの行為に対して、既存マスコミが「悪質なイタズラ」という論調で攻め立てた事に対して文句は言えない気がする。
既存の権威、皆が考えている日常をそのままの姿で守りたいというエネルギーは、年を取る程大きくなる。それは、アラフォーの自分だって、守るべき家族ができ、日常の仕事があり、自分なりの経験にプライドみたいなものができてきているから、よくわかる。時に現状を変える事も必要だが、当たり前の日常が毎日過ぎていく安心感も必要であり、それこそが「安定」という名の幸せのような気もする。
「若さ」は、そういう権威や安定みたいなものに対して違和感を感じ、何かを変えようとするエネルギーを発揮する。それは今の閉塞感漂う日本で、必要とされる事なのかもしれない。
しかし、まだ頭の中で十分整理できていないんだが、彼らChim↑Pomの6名自身、少しずつではあっても、「守るもの」が出来て来るはずだ。本を読んだ限り、「覚悟」というのを、「死」と繋げている印象を受けたが、それは「自分の死」じゃないだろうか。
大人になると言うのは、周囲との繋がりの中で、自分よりも大切に思える人を育てていくという事のような気がする。夫婦もそうだし、子供もそうだが、「30代、愛する人のためのこの命だってことに、ああ気付いたなあ」(by エレファントカシマシ)みたいなイメージ。
彼らから感じるのは、そういう「守るものがない」という強さと、若さ。でも、それって、「弱さ」が隠れているんじゃないかと、つい考えてしまう。「守るものがない強さ」は、案外もろいんじゃないか、と思う。一見、覚悟があって、強く見えるんだが、ある時突然、ポッキリ折れる危険と背中合わせの、危ういイメージ。
でも、こういう若い人達が頑張っているのは、素晴らしい事だし、これからもChim↑Pomの6名には注目して行きたいと思う。
でもなんだろう、うまく言えないんだが、どうも何かが引っかかる・・・頭の中でモヤモヤするものがある。
とりあえず今日の会社帰り、渋谷に寄り道して、岡本太郎さんの「明日の神話」を、もう一度自分の目で見てみよう。
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・・・今、帰宅した。渋谷駅で「明日の神話」の現物をじっと観た。素晴らしい作品だと感じた。とにかくでかくて、全体を観るには、絵の一部を観た後、絵の向かい側の廊下を横に歩き、また絵を観て、また歩く。それを3~4回繰り返した。Chim↑Pomが福島の原発を描き足した右下部分、確かにそこに原発を入れるという発想は興味深い。「明日の神話」のおどろおどろしい白いガイコツみたいな絵の右側半分は、恐怖・暗いイメージ。解釈は人それぞれだろうが、私は、右側半分から、核・原子爆弾の持つ恐ろしい力、恐怖をイメージした。だから、欠けている右下に福島原発を入れるのは、確かに絵に違和感はないのかもしれない。
だが、今日私が「明日の神話」を見て一番気になったのは、「左下の空白部」だ。白いガイコツみたいな絵の左側には、神聖なタッチで描かれた、3人の人のようなものが描かれている。私はその部分に、「希望」「前向きさ」みたいなイメージを受けた。だから、もし左下の空白部に絵を描き足すとすれば、福島原発とは正反対のものを想像したくなる。
俺は絵は専門外で良く解らないんだが、岡本太郎さんの絵は、少なくとも写実的ではないと思う。だからこそ、観る我々にいろいろな事を想像し、イメージする気にさせてくれる。だからこそ、今日も約30分くらい観ていたが、全く飽きなかった。
上述した、Chim↑Pomに「引っかかるもの」、何となくこれかな、と思った。
彼らは、右下に明白に福島原発と解るものを「自分が描き足す」事をアートと呼んでいる。でも、大切なのって、絵を観る人に「想像してもらう」事じゃないだろうか。右下に福島原発を描き足すことで、「明日の神話」の左下部分に描き足すものを、これからの日本人一人ひとりが考えてほしい、という主張なら、納得性がある。しかし、自分達が描き足した右下部分ばかりを強調すると、どうも「作者の主張」の方が強すぎて、岡本太郎さんの絵に元々備わっている、「絵を観る人にいろいろな事を想像させる力」の方が犠牲になる気がする。もちろん、彼らはこれから先、左下の部分に明るいイメージの絵を描き足す事を考えているのかもしれないが。
ま、ちょっと会社帰りに寄り道するだけで、岡本太郎さんの絵が生で見られて、こんな事を考えられる環境に感謝しなければならない。渋谷のコンコースにあれだけ巨大な絵を展示するまでの多くの関係者の方達のご苦労、もちろん、素晴らしい作品を現代に残して下さった、岡本太郎画伯に感謝・・・
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