2016年11月22日火曜日

(211) ばあちゃんの信じる宗教

大正生まれの ばあちゃんシリーズ。
 
俺自身は、基本的には「不可知論者」。
でも、テーラワーダ仏教には強く共感するので、「仏教徒」というのが、俺の宗教だと思う。
「お墓参り」「世話になった先祖の写真がある仏壇に線香を上げ、手を合わせる」
事は、すごく重要だと思っているので、「家族教」みたいな宗教心も同時に持っている。
この俺自身の宗教心、おそらく、俺はばあちゃんを真似している。
 
ばあちゃんは、
22歳の時、戦争で無念の死を遂げられた実のお兄さん、
仲の良かった親戚(男)が、40歳過ぎてから消防隊員で殉職、
そしておそらく、死産という形でこの世に生を授かる事ができなかった、自分の水子、
これらの経験を通して、若い時から、「死」というものに対して、真正面から向き合わざるを得なかったんだろうと思う。
 
詳しくは解らないが、60過ぎてからも、じいちゃんと死に別れた70歳過ぎてからも、
日本各地のお寺を周り「お遍路さん」や、「西国三十三所巡礼」「東国八十八所巡り」をしている。
自分の親しかった人達の死に対しての供養の気持ちが非常に強かったんだろうと思う。
「お札(?)を全部集められた」という事に、強い達成感を感じている様子だ。
 
一方で、近所の曹洞宗のお寺の和尚さんとの仲も良い。
シャンシャン音を鳴らす(?)、なんとかという会があるらしく、以前はお袋に車を運転してもらい、
お寺までそのために頻繁に行っていた。
 
俺自身、お袋の大暴れの時、ばあちゃんと二人で、そのお寺にお邪魔し、
和尚さんといろいろ話したが、曹洞宗は、比較的、テーラワーダ仏教に近い感じがした。
禅宗である曹洞宗と臨済宗は、「お題目を唱え続ければ救われる」的な、安易な方向に逃げず、
般若心経の内容を考えようとしたり、座禅を組んだりして、
オリジナルの釈迦の瞑想を再現しようとする意欲を、多少なりとも感じる。
 
代々木にある、テーラワーダ仏教に一回見学に行ったら、
「サマタ瞑想」(心を鎮める瞑想)を「慈悲の瞑想」(私が幸せでありますように・・・生きとし生けるものが幸せでありますように・・・で行い、
その次の段階の「ヴィパッサナー瞑想」(自分を観察する瞑想)を、
「立つ瞑想」や「歩く瞑想」「呼吸する瞑想」等で行っていた。
個人的には、庶民の我々が一番やりやすいのは、このやり方だと思うので、
俺はテーラワーダ仏教が、今の日本の仏教の中で、一番理に叶っていると思っている。
 
しかし、禅宗の「座禅」も、基本的にはヴィパッサナー瞑想と同じのような気がする。
ただ、足が痺れるし、和尚さんに「バチっ」と肩を叩かれたりするので、手軽にできないんじゃないかとも思う。
 
俺のケースなら、心がざわついていて落ち着かない時、
例えば、行き帰りの通勤電車の中でも、慈悲の瞑想やってサマタ瞑想して、
自分の呼吸を見つめるヴィパッサナー瞑想すると、
たった40分の通勤時間だけでも、ずいぶん心は落ち着きを取り戻す。
 
・・・ちょっと話が逸れた。
 
さて、大正13年生まれのばあちゃんにとって、
「曹洞宗の和尚さん」が精神科医の代わりなんだと言う事に、
母親の大暴れの時に、はっと気付いた。
お寺の和尚さんは、その地域のセーフティネットの役割も、かつて担っていたんだろう。
実際、俺の息子達は、キリスト教会付属の幼稚園に通ったが、
浅草寺を始め、お寺付属の幼稚園、結構たくさんあるはずだ。
 
お寺・教会・精神科医・臨床心理士・産業カウンセラーみたいな仕事も含めて、
「心を育てる」「心を救う」というのには、
結構共通するスキルが要求される気がする。
 
さて、余談なのかもしれないが、俺がひっくり返りそうになったのは、
母親の大暴れの時、曹洞宗の和尚さんが俺に向かって、真面目な顔して、
「実は、私の妻、霊が見えるらしいんです。相談してみますか?」
とおっしゃった事だ。
 
「せっかくのお話ありがたいんですが、神奈川の家に帰らなきゃならないんで、また次の機会に」
と、大人の俺は丁重にお断りしたが、
曹洞宗の和尚さんが、「霊が見える」奥さんと夫婦関係にあるという事に、
いろんな意味で、日本の大乗仏教の底知れない力を感じた。
 
ここからは俺の読みだが、
多分、和尚さんの説法だけじゃ救いきれない思いを、
奥さんの「霊が見える」という力で、悩める檀家さん達を救うんじゃないかと思う。
 
和尚さんが、「この家はこういう問題がある」と奥さんに伝え、
良い方向に進むシナリオを考え、
霊が見える奥さんが「わしゃ、死んだじいちゃんじゃ。お前らは、地元に住むんじゃ!」と話せば、
もし、俺が霊を信じる人なら、
「そうか、じいちゃんがそう言ったんじゃ、しょうがないな。仕事辞めて、静岡で暮らすかな」
と、思う事もあったかもしれない。
 
和尚さん一家も、夫婦共働き状態で、
だんなさんは葬式とお墓関連の収入、
奥さんは、スピリチュアル、占い師的な仕事による収入が入り、万々歳。
 
テレビでも、ついこの間まで、スピリチュアルブームだった訳だから、
人間皆、「頼るもの」を探していて、思考停止してその頼るものに全て身を委ねてしまいたいという欲求、
相当強いんだろうと思う。
 
・・・なお、ばあちゃんは、
「和尚さんはいい人なんだけど、あの霊が見えると言うやり方は、わしゃどうも好かん」
と後で、不満な顔を、明らかに俺に向けていた。
 
多分、ばあちゃんの知り合いの人の中には、「和尚さんの奥さんに見える霊」に救われて、
そのサービスに対してお金を払う人もいるんだろうが、
ばあちゃん自身は、多分「霊」を信じる事がどうしてもできないんだろう。
 
ばあちゃんは、こんな事も言っていた。
「わしが一番頼りにしているのは、自分の娘(俺のお袋)」
「X子(お袋の名)が一番頼りにしているのは、息子であるお前(michitenji)」
 
家族の関係は「お互い様」だ。
一方が一方を愛する時、反対方向の愛情も、ほぼ例外なく発生する。
夫婦、親子、結びつきが強い程、相手の死を認める事に、自分の死と同じような苦しみを伴う。
 
その苦しみを、普通の人なら経験しない程度経験したばあちゃんの宗教心には、非常に強い説得力がある。
 
だから多分、俺は一生死ぬまで、一神教を信じないと思う。

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