【(107) nationalismとpatriotism】の続き。
今朝、KIOSKで、生まれて初めて「SAPIO」を500円払って買って読んでみた。
これまで何故読まなかったかと言うと、電車の中吊り広告などで見る限りに於いて、
「nationalism」っぽい臭いがどうしてもしていたからだと思う。
でも、読んでみて、500円払った価値は十分あった。
読む前の自分の予想通り、記事全体を読んでの率直な感想は、
「パトリオティズム」と「nationalism」の間スレスレ、どちらかと言うと、後者寄り、
というものだった。
しかし、特に大前研一さんによる記事からは、強いパトリオティズムを感じ、
nationalismは感じなかった。大前さんの指摘内容は非常に鋭く、
大前さんがSAPIOに書かれていた事は、
【(164) 日経朝刊記事(ロバート・クーパー氏)】
に自分が書かせてもらった、ロバート・クーパーさんの指摘のポイントそのものであり、
大前さんの現場経験に基づいた指摘は、
クーパーさんの指摘ポイントを、そのまま裏付けるような意見のように思えた。
改めて、我々日本人が、
「SAPIO」という雑誌も、KIOSK等で500円払えばいつでも買える、
という恵まれた環境にいる事の幸せを感じた。
我々が情報を仕入れるメディアには、多種多様なものがある。
メディアの種類があまりにも多すぎて、現代に生きている日本人は、
とてもじゃないが、全部から情報を仕入れる事なんて不可能だ。
新聞(日経新聞、朝日新聞、スポーツ新聞・・・)
雑誌(Newsweek日本版、週刊SPA!、ダイヤモンド、AERA・・・)
テレビ(NHK、フジテレビ・・・)
インターネット(日経オンライン、ブログ、Yahoo株式掲示板、2チャンネル・・・)
ラジオ
FacebookなどのSNS
口コミ
等など・・・
基本的に、(広告収入と言う間接的な形であれ)金を払っている客側の立場で
いられる限りに於いて、我々庶民側は、どれを見て、どれを読んでもいいし、
それぞれのメディア、それぞれの考え方があり、
『情報発信の仕方に癖・特徴がある』
という事さえ理解しておけば、自分の脳が考える
「刻々と変わって行く本当の世界の姿、日本の姿」
のタイムリーな理解により近づくために、
ある程度の金さえ払えれば自分の意思で、好きなようにできる。
・・・「本当の世界の姿」、「本当の日本の姿」という概念自体は、
多分、般若心経で言う所の「空」なんだろうけど。
日本における「言論の自由」というのは、例えるなら、
「SAPIO」を、その特徴を受け入れた上で、いつでも、誰にでも、読める状態を維持し、
同時に、
「朝日新聞」もその特徴を受け入れた上で、いつでも、誰にでも、読める状態を維持する事だと思う。
日本にいると当たり前に思ってしまうが、
おそらく、世界を見渡せば、こういう状態が達成できている国は、滅多にないと思う。
多分、日本人には皆それぞれ、いろんな考えがあって、
時間が経過し、外部環境が変わる事で、その膨大な数の考え方も日々、
変わり続けている。
雑誌やメディアの側が、
「あまりにも極端すぎる考え」或いは、「時代遅れの考え」に固執した場合は、
市場原理により、「発行部数が減り、採算が取れなくなる」という形で、絶滅していくんじゃないかと思う。
これは、生物界で言う所の「自然淘汰」を思い起こさせる。
国全体としてみた時に、
いろんな考え方を受け入れる、という「寛容の精神」がある事が、多分、文化の成熟度を表していて、
かつ、「自分の考え方をしっかり持つ」という事も、同時に国民としての成熟度を表している。
これら二つは、「どっちかを取ろうとすると、どっちかがおろそかになりがち」であり、
現時点での日本人の全般的な特徴は、
「寛容の精神」はだいぶ進んでいるけれども、
「自分の考えをしっかり持つ」という部分が、どうも危なっかしい、
そんな状態にあるような気がする。
SAPIOを買って読んでみて、こんな事を、俺の脳は(勝手に?)考えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿